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じぶんのためのメモ 📎興味・関心・好きなもの 資本主義 種差別 アナキズム 哲学 東洋史 茶 陶磁器 芸術 児童書など
  • 2025年5月4日
    隣の国の人々と出会う
  • 2025年2月15日
    新しき芸術 (1956年)
    新しき芸術 (1956年)
    『森の生活』とは真逆の価値観な気がして、気になったので購入。
  • 2025年1月2日
    ソフィーの世界
    ソフィーの世界
    中学生のころ、友だちに借りた本。 読み終わらないまま返してしまったことが心残りで、古書店で見つけて迷わず購入。
  • 2025年1月1日
    レ・ミゼラブル 2
    レ・ミゼラブル 2
  • 2025年1月1日
    レ・ミゼラブル 1 (岩波文庫 赤 531-1)
  • 2024年12月15日
    ピーターラビットのクリスマス 25の物語のアドベント
    クリスマスに友だちからいただいた✨
  • 2024年11月12日
    リネアの12か月: ニコリーナ・カッレ・ペッレ・オッレへ
    リネアの12か月: ニコリーナ・カッレ・ペッレ・オッレへ
    幼少期、近所の図書館でなんども借りた大好きな本。
  • 2024年11月3日
    森の生活 下
    森の生活 下
    「想像力を害さないような、質素で清潔な食事をととのえ、調理することは容易ではない。だが肉体に養分を与えるなら、想像力に対してもそうすべきであろう。両者はともにおなじテーブルにつくべきである。そうすることは不可能ではあるまい。(中略)想像力が肉や脂肪と調和しない理由を問うのは無駄なことであろう。私は調和しないと確信している。人間が肉食動物であることは、ひとつの恥辱にほかならないのではあるまいか?なるほど、人間はたいていの場合、ほかの動物を食べることによって生きることができ、また、現にそうやって生きている。しかし、これがみじめな生き方であることは、ウサギを罠にかけたり、子ヒツジを屠殺したりする者が、だれでも思い知ることだろう。したがって、将来、人間にもっと罪のない健康的な食物だけを食べるようにと教える者があらわれれば、彼はまさに人類の恩人とみなされることになるだろう。私自身の食習慣はともかくとして、人類は進歩するにつれ、動物の肉を食べるのをやめる運命にあると、私は信じて疑わない。」
  • 2024年10月30日
    森の生活 上
    森の生活 上
    とても好き。脱資本主義な生き方を考えるうえで参考になると思った。 「あるひとが私に言う。「君は貯金もしていないのかい。旅行が好きなんだろう。今日にも列車に乗ってフィッチバーグへ出かけ、あの辺を見物してきたらいいのに」。だが私はもっと賢いのだ。いちばん速いのは徒歩の旅行者だということを、ちゃんと知っているのだから。私は友人に言う。ひとつ、君とぼくとどちらが先に着くか考えてみようじゃないか。距離は三十マイル、汽車賃は九十セント。これはほとんど一日分の給料だよね。(中略)さて、ぼくはいま徒歩で出発し、夜になる前に目的地に着く。以前に、その速さで一週間ぶっつづけに旅をしたことがあるんだ。君はそのあいだ汽車賃をかせぎ、明日か、ひょっとすると今夜あたりそこへ着く。うまいぐあいに仕事が見つかればの話だけれど。つまり、フィッチバーグへ行くかわりに、君はほとんど一日じゅうここで働いていることになるわけさ。だから、たとえ鉄道が世界を一周していても、やっぱりぼくのほうが君よりも先へ先へと進むことになると思うよ。おまけに、その地方を見物するというような経験を積む段になると、とても君なんかとはつきあっているわけにはいかないね。」 「わが国の工場制度は、人間が衣類を得るのに最上の方法だとは思えない。職工たちの労働条件は、日一日とイギリスの状態に近づいている。これは別におどろくにはあたらない。私が見聞したかぎりでは、工場制度の主たる目的は、人間が正直に働いた金でちゃんと服を着られるようにすることではなく、明らかに会社を肥らせることにあるからだ。」 「人間が自分の家を建てる場合は、鳥が巣をつくる場合とおなじように、ちゃんと目的にかなっていなくてはならないのだ。人間が自分の手でみずからの住まいを建て、単純で正直な労働によって自分と家族を養っていくようになれば、どの鳥もそうした暮らしのなかでさえずっているのだから、ひょっとすると詩的な才能が万人のうちに芽生えてくるのではあるまいか?ところが悲しいことに、われわれのやり方は、ほかの鳥がつくった巣のなかに卵を産み落とし、騒々しく耳ざわりな声で鳴いて、旅ゆく者にはなんの慰めも与えてくれないムクドリモドキやカッコウに似ている!われわれは、家を建てる楽しみを、いつまでも大工にゆずり渡したままでよいものだろうか?ひとは一般に、どの程度の建築経験をもっているのだろうか?私は散歩の途中で、自分の家を建てるという、このごく単純で自然な仕事にたずさわっている人間には、まだ一度も出くわしたことがない。われわれは共同体に属している。九人集まって一人前、ということわざは、なにも仕立て屋だけにあてはまるわけではなく、説教師にも商人にも農民にもあてはまる。この分業というやつは、いったいどこまでいけば終わるのだろうか?それは結局、なんの役に立つことになるのか?もちろん、ほかのひとも私のかわりにものを考えてくれるかもしれないが、だからといって、私が自分でものを考えるのをやめたほうがいいということにはならないだろう。」
  • 2024年8月31日
    中国と 茶碗と 日本と
  • 2024年8月14日
    クルミわりとネズミの王さま
    クルミわりとネズミの王さま
  • 2024年8月11日
    名作バレエの楽しみ
  • 2024年7月16日
    まっくろけのまよなかネコよおはいり (大型絵本)
    国際子ども図書館で、絵に惹かれて手にとった。 なんだか印象に残って、もう一度読んでみたい気がする。
  • 2024年4月20日
    すてきなタータンチェック
    すてきなタータンチェック
    お出かけ先で立ち寄った図書館でさらりと読んだ。 こういう絵本好き。
  • 2024年3月24日
    荷を引く獣たち
    荷を引く獣たち
    この世界にこの本が存在することが希望だと思えた。とても優しくて、癒される読書体験だった。
  • 2024年3月24日
    資本主義の次に来る世界
    資本主義の次に来る世界
    「1350年から1500年までの革命の時代、上流階級は歴史家が「慢性的な非蓄積」と呼ぶ危機に見舞われた。国民所得(全国民が得る所得の総額)がより均等に国民に分配されるようになるにつれて、上流階級が封建制のもとで享受していた富の蓄積は難しくなった。ここが肝心なところだ。わたしたちは、資本主義は封建制の崩壊から自然に出現したと考えがちだが、そのような移行は起きなかった。資本主義は上流階級による富の蓄積、つまり大規模な投資のために富を過剰に溜め込むことを必要とする。しかし封建制が崩れた後に生まれた平等主義の社会は、自給自足、高賃金、草の根民主主義、資源の共同管理を軸とし、上流階級による富の蓄積を阻んだ。上流階級の不満の核心はそこにあった。 この平等主義の社会が、その後どのように発展していったかを、わたしたちは知り得ない。なぜなら、容赦なく潰されたからだ。貴族、教会、中産階級の商人は団結し、農民の自治を終わらせ、賃金を引き下げようとした。もっとも、そのために小作農を再び農奴にしたわけではない──そうすることは不可能だとわかっていた。その代わりに、ヨーロッパ全土で暴力的な立ち退き作戦を展開し、小作農を土地から追い出した。農民が共同管理していたコモンズ、すなわち、牧草地、森林、川は柵で囲われ、上流階級に私有化された。つまり、私有財産になったのだ。 このプロセスは、囲い込みと呼ばれる。囲い込みによって、数千もの農村コミュニティが破壊された。作物は荒らされ、焼かれ、村全体が破壊された。農民は、生きるために欠かせない資源である土地、森、獲物、木材、魚に近づけなくなった。また、その改革は「所領没収」に拍車をかけた。イギリスやアイルランドではカトリック修道院が解体され、その土地はすぐさま貴族に払い下げられ、そこに暮らしていた人々は立ち退きを強いられた。 (中略) もっとも、資本主義が台頭するにはもう一つ必要なものがあった。労働である。それも大量の安い労働だ。囲い込みはこの問題も解決した。自給自足経済が破綻し、コモンズが囲われると、人々は賃金を得るために労働力を売るしかなくなった。以前のように臨時収入を得るためではなく、農奴制の時のように領主の要求を満たすためでもなく、ただ生き延びるために。要するに彼らは賃金労働者(プロレタリア)になったのだ。世界史上、前例のないことだった。当時、彼らは「自由労働者」と呼ばれたが、この言葉は誤解を招く。彼らは奴隷や農奴のように働くことを強制されたわけではないが、選択の余地はほとんどなく、働かなければ飢えるしかなかった。生産手段を所有する者が、最低賃金を払えばよいとされるのであれば、人々はそれを受け入れるしかない。どれほど少ない賃金でも、死ぬよりましだった。」 「資本主義は並外れた物質的生産性をもたらしたが、その歴史が絶え間ない希少性の創出を特徴とし、破壊的な飢饉と数百年に及ぶ貧困化のプロセスにまみれているのは、なんと奇妙なことだろう。この明らかな矛盾に最初に気づいたのは、第8代ローダーデール伯爵ジェームズ・メイトランドで、1804年のことだった。メイトランドは、「私富」と「公富」すなわちコモンズには負の相関があり、前者の増加は後者の犠牲の上にのみ成り立つ、と指摘した。 メイトランドはこう書いている。「公富は、人が、自分にとって有用で望ましいと感じ、欲するすべてのものから成る、と定義できるだろう」。言い換えれば、豊富にあっても固有の価値を持つもので、空気、水、食料が含まれる。私富も、「人が、自分にとって有用で望ましいと感じ、欲するすべてのものから成るが、こちらは希少性ゆえに価値を持つ」。希少であればあるほど、それを必要とする人々からより多くの金を強奪できる。たとえば水のように豊富な資源を囲い込んで独占したら、人々に使用料を請求して、私富を増やすことができる。(中略)しかし私富を増やすには、豊富にある無料のものを利用する権利を人々から奪う必要がある。結果、私富は増えるが、公富は減る。 (中略) メイトランドは、植民地でそうしたことが起きているのを知っていた。たとえば果実やナッツが実る天然の果樹園を入植者が焼き払ったため、その土地の豊かさに依存して暮らしていた人々は、働いて賃金を得て、ヨーロッパ人から食物を買わなければならなくなった。植民地政府が私富を増やすには、豊富にあるものを希少にしなければならなかった。その典型は、イギリス領インド帝国がインドに課した塩税だろう。インドでは、塩は海岸で自由に手に入れることができた。腰をかがめて海水をすくいとればよいのだ。しかし、イギリスはこれを行う権利を人々に買わせて、植民地政府の歳入を増やした。私富を増やすには公富を犠牲にする必要があった。コモンズは成長のために破壊されたのだ。」
  • 2023年10月18日
    パレスチナの民族浄化
    パレスチナの民族浄化
  • 2023年10月18日
  • 2023年10月13日
    ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学
    ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学
  • 2023年10月13日
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