
つたゐ
@tutai_k
2025年6月20日

極北の海獣
イーダ・トゥルペイネン,
古市真由美
読み終わった
18世紀ロシア、19世紀アラスカ、現代フィンランド。人類に絶滅させられたステラーカイギュウをめぐり、そのステラーカイギュウがまだ生きていた時代から、絶滅後「ロマン」として求められていた時代、人類が「絶滅」という言葉や現象と、自分たちが生き物を絶滅させているという自覚を持った時代、「私たち」へと辿り着く物語。
シュテラーとかベーリングとかたくさんの実在の人物の名前が出てくるから、伝記なのかな?と思うけれどそうではなくてフィクションで、歴史の中に「あったかもしれない(あっただろう)」人々の高揚や葛藤が描かれているのがとてもおもしろかった。
これは別の本で読んだのだけど、かつてキリスト教圏のひとびとは、動物や環境というのは神が人間のために整えたから「使ってもいい」と思っていたらしい。だから絶滅という現象が起こるとは夢にも思っていなくて…。その頃の時代というのは、ツバメは冬になると海の中で過ごしているとか、現代からみたら荒唐無稽な「科学」の時代ではあったんだが…「絶滅」を知った時だって「とにかく標本を作ること」が「最先端の科学」だったりとかする「過去」から、「私たちの手で今まさに絶滅させてしまった生き物たち」をはっきりとした自責と自覚で見送る現代、その絶滅を食い止めようと努力する人もいる現代にたどり着く。それでもいまなお、食い止めようとするひとの努力よりも、待てずに去る生き物のほうが圧倒的に多く、無自覚に(或いは自覚的に!それがどうなってもいいという慢心で)絶滅への拍車をかける経済/社会/国際(戦争!)活動が行われている。
物語の結末、謝辞にたどり着いたとき「絶滅文学」という悲しいカテゴリの本質を目の当たりにする。
最高におもしろいけれど、おもしろいだけですまされない、骨の上に寝起きする私たちの文明に幾度でも問い直せというメッセージを握りしめて本を閉じた。
