白湯
@uyas_14
2025年6月22日

イエスの生涯
遠藤周作
読み終わった
>巡回労働者としてナザレの町やその周りを歩きながら、イエスは心の飢えに苦しまれていた。彼の心はいつも充たされなかったのである。
この心の飢えというのは、「自分が充たされない」のではなくて「悲しんでいる人が幸せになれない」から充たされなかったということだろうか。
昔母に連れられて教会に通っていた頃、「イエス様は私たちのために十字架にかかってくださった」と言われてもそれがどうして赤の他人の救いに繋がるのか分からなかった。
多くのクリスチャンがぶつかる疑問だと思うのだけど、遠藤先生は「自分も同じ(もしくはそれ以上の)苦しみを味わったからあなたの苦しみが分かるよ」と言えないから、とアンサーを出していて。本来の教えとは違うかもしれないけど、私は先生の解釈が一番腑に落ちた。