イエスの生涯
13件の記録
かな@kk714000262025年10月6日読み終わったキリスト教についてまだ腑に落ちないところはあるけれども(自分が無知なだけだけど)、なるほどと思うところもたくさんあり、とても勉強になった。 マタイ受難曲を聴くのに、これを読んでるのと読んでないのとでは全然感じ方が違うだろうなあという感じ。改めて訳と照らし合わせてマタイを聴いてみる。- 白湯@uyas_142025年6月22日読み終わった>巡回労働者としてナザレの町やその周りを歩きながら、イエスは心の飢えに苦しまれていた。彼の心はいつも充たされなかったのである。 この心の飢えというのは、「自分が充たされない」のではなくて「悲しんでいる人が幸せになれない」から充たされなかったということだろうか。 昔母に連れられて教会に通っていた頃、「イエス様は私たちのために十字架にかかってくださった」と言われてもそれがどうして赤の他人の救いに繋がるのか分からなかった。 多くのクリスチャンがぶつかる疑問だと思うのだけど、遠藤先生は「自分も同じ(もしくはそれ以上の)苦しみを味わったからあなたの苦しみが分かるよ」と言えないから、とアンサーを出していて。本来の教えとは違うかもしれないけど、私は先生の解釈が一番腑に落ちた。
やえしたみえ@mie_e01252025年6月5日買った読み終わった蔵書「イエスの生涯はそれだけだった。それは白い紙の上に書かれたたった一文字のように簡単で明瞭だった。」を読んだ瞬間に、カトリック入門講座修了祝いとしてカテキスタの方が贈ってくださった「愛」という書を思い出した。主がおられるこの世界のなんと美しいことか。 遠藤周作の聖書解釈が神学的に正しいものなのか、実際に起こったことなのかは一旦脇に置いておく。まず、文章がうますぎるので、それだけで一読の価値がある。 イエスはただ、明確に、愛の人であったのだ。それを弟子たちは、あのやさしい人が十字架の上で惨めに死んだときにやっと理解した。そうまでしないと弟子たちは、そして私たちも理解ができなかった。その感情の動きを、論文調でありながら見事に描き切り、ドラマティックに終結する。信仰のない人でも感動するんじゃないかと思う。 そしてキリスト者である我々は、一度読了すれば、十字架につけられて死に、葬られ、黄泉に下り、三日目に死者のうちから復活し……と唱えるとき、この弟子たちのことを、最も身近でイエスを見た彼らの後悔と苦しみと、そこから生まれたキリスト教の流れに自身がいることを考えざるを得なくなる。キリストと呼ばれるイエス、あなたを信じます。あなたが私たちの罪を引き受け、苦しみながら、愛のうちに死んでいったことを。そうして今も、我々の内に生きて治めておられ、全ての苦しみと共にあることを。 遠藤周作の思想の根幹にあたるのだろうから、遠藤作品を好む方は是非一読するべきだ。作者の思想って大事。







