
ちょこれーと*
@5_ogd
2025年6月25日

小説言の葉の庭
新海誠
読んでる
相澤祥子のパート。
この話を小説で読む醍醐味は、それぞれの人物が取った行動原理やバックグラウンドを垣間見ることができるところだと思う。
『わたしはいったいどうしたいのだろう。ぎらぎらと発光しはじめた街の中を、どこに行けばいいのかも分からないままに、わたしはとにかく歩く。いつまでも覚めてくれない悪夢の、でもぜったいどこかにあるはずの出口を探すみたいに。』
世の中の 苦しきものに ありけらし 恋に堪へずて 死ぬべき思へば』
(この世にあって 苦しいもので あるようですね 恋に苦しみ 死ぬ思いをしているので)
好きと嫌いは紙一重。一方的な好きの感情が強すぎると憎悪に転じてしまうのかもしれない。私はこんなにも苦しんでいるのだからあなたも苦しみなさい、みたいな?
こんなはずじゃなかった、私は何もしていない、まわりの人間が勝手にやったことだ。相澤祥子はそう言うのだろう。人を再起不能になるまで追い詰めておいてもなお。結局自分が一番可愛いのだから。でも、責任からは逃れられない。人を苦しみの底に突き落とした罪は一生つきまとう。いつか雪野先生のことを思い出したときにきっと自責の念に駆られる未来が見えるような気がした。