
ふるえ
@furu_furu
2025年6月29日

スロー・ルッキング
シャリー・ティシュマン,
北垣憲仁,
新藤浩伸
読んでる
借りてきた
気になっていた本。「よく見る」というより(結果的にはよく見ることだとしても)「ゆっくり見る」というところにある普遍性を感じてたのしい。「見ること」の目的を視界の中におさめて、全体を眺めるというところではなく、さらに一段ゆっくりにする。スロー・ルッキングとは目的を「ゆっくり見る」ことにギアチェンジするような意識を獲得することなんだろうかと思いながら読んでいる。
“他人の靴を履くということは、自分がその靴について何らかの知識を持っているという感覚を伴います。しかし、その知識は常に不完全であり、単純化しすぎたり、時には危険なほど間違っていたりします。さらに、自分が知っていると思っているある事柄が正確であったとしても、それはいつも全体の一部にしかすぎません。つまり、私たちは他者の経験を完全に理解することなどけっしてできないのです。視点の取り方のパラドックスとは、一方では、他人の経験を知ることができると仮定することは、他人の経験の完全性を軽視することになります。とくに、その経験が自分の経験とはあまりにもかけ離れていて、それを想像するためにステレオタイプに頼ってしまう危険性がある場合はなおさらです。また一方では、他人の視点から経験を想像する能力を失えば、人間性というものはなくなってしまいます。誰かの視点に立つということの道徳的価値は、その限界を理解する能力に次いで重要なものなのかもしれません。”
シャリ―・ティシュマン、訳:北垣憲仁、新藤浩伸『スロー・ルッキング』(東京大学出版会)p.87





