スロー・ルッキング

111件の記録
- ふるえ@furu_furu2025年7月6日読んでる博物館や美術館で「ゆっくり見る」ことについて書かれている章の中で、「見る」行為(作品鑑賞)に対して「知識」を与えることは、その人の探究活動にとって効果的なのかということが書かれていて興味深かった。探究のためには「知識」が必要になるけれど、不必要に与えられすぎるとそれでもう理解した気になったり、探究したいという欲求が削がれてしまうことにもなる。対話型鑑賞という言葉を最近聞くけれど、探究(観察)には適切な問い(よく見るための補助線のようなもの)と、適度な知識が必要なのかもしれないと思う。
- ふるえ@furu_furu2025年6月30日読んでる「ゆっくり見る」ことは難しい技術ではない(はず)なのに、そういえば今までゆっくり見ることができたと言える経験はあっただろうかと思う。何か作品を見たり、歴史的に重要なものだったり、散歩途中に見る風景だったり、そういうものをじっくり見たことってあんまりないのかもしれない。時間をかけて見ていたとしても、それはそのものと自分の関係性だったり、そのものの背景に思いを馳せながら思考している時間が大半で、本当の意味でそこにあるものを見ていなかったかもしれない。意味をそこに見出すのではなく、ただゆっくり見ることって難しいのかもしれない。
- ふるえ@furu_furu2025年6月29日読んでる借りてきた気になっていた本。「よく見る」というより(結果的にはよく見ることだとしても)「ゆっくり見る」というところにある普遍性を感じてたのしい。「見ること」の目的を視界の中におさめて、全体を眺めるというところではなく、さらに一段ゆっくりにする。スロー・ルッキングとは目的を「ゆっくり見る」ことにギアチェンジするような意識を獲得することなんだろうかと思いながら読んでいる。 “他人の靴を履くということは、自分がその靴について何らかの知識を持っているという感覚を伴います。しかし、その知識は常に不完全であり、単純化しすぎたり、時には危険なほど間違っていたりします。さらに、自分が知っていると思っているある事柄が正確であったとしても、それはいつも全体の一部にしかすぎません。つまり、私たちは他者の経験を完全に理解することなどけっしてできないのです。視点の取り方のパラドックスとは、一方では、他人の経験を知ることができると仮定することは、他人の経験の完全性を軽視することになります。とくに、その経験が自分の経験とはあまりにもかけ離れていて、それを想像するためにステレオタイプに頼ってしまう危険性がある場合はなおさらです。また一方では、他人の視点から経験を想像する能力を失えば、人間性というものはなくなってしまいます。誰かの視点に立つということの道徳的価値は、その限界を理解する能力に次いで重要なものなのかもしれません。” シャリ―・ティシュマン、訳:北垣憲仁、新藤浩伸『スロー・ルッキング』(東京大学出版会)p.87
- 柿内正午@kakisiesta2025年6月2日読み終わったこの本買うとき、これを使ってなんか楽しいことをやるというのはどうだろうかと本屋lighthouseの関口さんと雑談していて、読み終えた今、たしかになんかやりたくなるなーと思う。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月29日読み終わったルッキングとはあるがあくまでも手段のひとつであって、果たしたい目的は各種感覚器官を用いて「自分で確かめる」ことにあるように思える。現代社会、自分で確かめているつもりでも実際にはそうではないことはたくさんある気がするから、いま読めてよかった1冊だった。自分で確かめるための時間的余裕がない、というのもあるかもしれない。あと、とにかくはやく答えを出す=反応したり発言したりすることが求められすぎているのも、現代SNS社会の特徴だと思う。 スロー・ルッキングを練習するイベント、本屋でやるのはうってつけだよね。本棚にかぎらず、本屋のいたるところをじっくり見て、さわって、匂いをかいだりもして、いろいろなことを感じて、考えて、言葉にもしてみる。連続イベントにして定期的にやるといいかもしれない。たのしくなってきた。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月28日読んでるまだ読んでるスロー・ルッキングと客観性は結びつけて考えられることが多い。同時に、完璧な客観性など不可能である、ということもまたスロー・ルッキングの実践に必要な土台であり、そのことを学んでいく方法がスロー・ルッキングでもある。 視点の複雑さを理解することで、学習者はさまざまな視点から世界を見ることができるようになります。一方で、他人の経験のなかに真の意味で入り込むことはできないという事実にも敏感になることができます。(p.195) ウルフが書いていた横臥者についてのくだりを思い出した。そしてこの章ではウルフが書いた「壁のしみ」のことが、スロー・ルッキングの例として紹介されてもいる。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月27日読んでるまだ読んでる博物館でものを見るときには、たとえ自分が得た知識をうまく表現できなくても、私たちは膨大な量の情報を統合しているのです。実際、知識というと誤解を招くかもしれませんが、博物館の理念の特徴のひとつは、来館者としての体験の価値を、来館者が獲得した知識の量に直接結びつけていないことにあります。言い換えれば、私たちは博物館で何かを学ぶことに大いに期待をしていますが、得られた情報の量だけで体験の質を判断するわけではありません。博物館での体験がもたらす全体的な認知的成果は、知識を完全に理解したという感覚よりも、好奇心や可能性が広がる感覚であることが多いのです。(p.103) DIC川村記念美術館が展示物にキャプションをつけないという姿勢を貫いたのは、きっとこのことなのだろう。スロー・ルッキングを体現していた場所がつい最近失われたということ。移転した先でもこの姿勢を維持してほしいが、果たして。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月27日読んでるまだ読んでるスロー・ルッキング=ゆっくり見ることとはすなわち「自分の目で見て、自分の頭で考える(確かめる)」ということなのだけど、子どもが大人の視線=思惑を感じずに自分だけで本を選び、買い、読む、その環境を本屋lighthouseでは作れている感覚があり、なんだか共鳴するというか、端的に言ってうれしい。いま「こども読書ちょきん」を使って本を買っていってる子たちが、今後どのように成長していくのか。そのようすを確認することはほとんどできないのだけれど、勝手に期待している。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月26日読んでる秩序を好む「カテゴリー」と調和的な混乱を生み出す「インベントリー」の両方を意識しながらものごとを見る、感じる、考える。本屋の棚作り、ジャンルで正確にわけるのと文脈で作るのと、に似ているかもしれない。 チェーン店出身だからかもしれないが、いわゆる独立系本屋の棚を見るとあまりにも「カテゴリー」がなさすぎて目が滑ってしまう、ということがたまにある。文脈棚は最低限の、かつ確固とした土台があるからこそズレの存在が際立つのであって、土台=文脈のない混沌は見るものに「?」を生じさせる。ゆえにシェア型本屋は特にツルツルとしている。もちろんそれが好きな人もいるし、優劣の話ではなく、たんに個人的な好みの話でしかないのだけど。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月26日読んでるまだ読んでるスロー・ルッキングにまつわるプロジェクトに参加している子どもの文章が凄すぎて震えた。 柔らかな風がすっと通り抜け、私の肌を癒してくれる。通りには誰もいないし、車もない。木々のぎゅっと詰まった葉が風に吹かれて揺れている。海は波立ち、音を立てて私の足元まで打ち寄せる。そよ風が砂をなでると、砂は冷えやがて固い大地となっていく。水は冷たく、氷の破片が顔にあたるかのようだ。外に上がると、水は冷たく、冷たい風が私を包み、体が震える。(一四歳、アメリカ、マサチューセッツ州セーラム)(p.59) それにしてもこの本、どうして4200円+税という高額本にしてしまったのか。出版社的には高度な学術本の認識でいたのだろうけど、ぜんぜん違う。3000円以下にしてもっと手軽に読めるようにしたほうがよかった。ほんとうにもったいない。読みたいけど手が出ねえよばかやろう、と思った人は気兼ねなく図書館にリクエストしたり、貸し借りして読んでほしい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月25日読み始めたすでに柿内さんによって読まれている気になっていたが、実際には昨日入荷したばかりで、納品の箱を開けて本書の水色が目に飛び込んできた数秒後にはDMを送っていた気がするくらい、クイックに動いていた。すると柿内さんもクイックにルックしてしまったようで、すぐに来店予定時期を知らせる返信が届く。 そして今日、短縮営業だというのにまったく来客がなく、満を持して読まれ始めたのだった。まだ序の口すぎてなにかを言えるほどのきっかけはないのだが、ほぼ忘れながら遅々として読み進めているプルーストとも、きっとどこかでつながってくるのだろう。
- 柿内正午@kakisiesta2025年4月23日読んだ気になっている本屋lighthouseで買うこの本の書影や惹句に触れてから、そうだよな、スローって大事だよな、と不思議と腑に落ちて、メモは紙に鉛筆に持ち替え、スマホの表示を白黒にしてスクリーンタイムを二時間以内に抑え——そのおかげでReadsへの投稿も間遠になってきている——日々をゆっくりやるようになっている。読む前から読んでいるというか、すでにこの本の内容から乖離している気もする。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月2日仕入れます結局今日の営業は来客1名売上3420円という、新年度営業初日にふさわしい結果となった。ロックンロールは鳴り止まないっ。 ということで神聖かまってちゃんの名曲を聴きながら歩いて帰ってきたのだが、まさにこの曲はスローな在り方を歌っていると気がついた。ビートルズやセックス・ピストルズのCDを借りて聴いたが「なにがいいんだかぜんぜんわかりません」と言っていた僕は、いつしか「MDとってもイヤフォンとってもなんでだぜんぜん鳴り止まねえ」という状態にまでなる。あるいは、「最近の曲なんかもうクソみたいな曲だらけさ」と言う君に対して僕はギターをかき鳴らし、「君が今すぐ、今、曲の意味わからずとも」、いま、鳴らすのであり、ロックンロールは鳴り止まないと叫ぶ。 同時に思い出すのはandymoriの「革命」であり、そこでは革命は「100日1000日10000日経ったあとで」誰かの心に風を吹かすことで、そのきっかけがやっと生まれる。 いずれの曲も出会ったのは10年以上も前で、それから常に記憶や心のどこかにある程度の強さでもって存在し続けた曲ではあるが、それがこうしていま、また別の意味をともなって強烈にあらわれてくるということ。私にとっての革命は意地であり、意地というものは長期間にわたって張り続けることでどうにかなるものであり、そのように世界に対して歯向かうことが必要なのだと信じられる夜となった。