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ふるえ
ふるえ
@furu_furu
本について日記に書いていたり、書いていなかったこと。
  • 2025年12月16日
    夜明けと音楽
    夜明けと音楽
    最初から痛々しいというか、見えてくる景色が寒そうで痛そうで、でも「書く」ということに対してとても切実なものを感じてよかった。
  • 2025年12月14日
    季刊日記 創刊号
    季刊日記 創刊号
    ひとつの本の中にいろんな人の日記が詰まっていて面白い。同じページの中で違う人の日記に変わる段があり、同じ日記というものであるにも関わらず文体や書かれていることが違うだけで全然違うものに感じる。たのしい。
  • 2025年12月12日
    カフェゴトーの記録
    カフェゴトーの記録
  • 2025年12月8日
    生きるための表現手引き
    どれだけ何かを真似てつくってみても、全く同じものはありえず、その差異にオリジナリティが、あるいはその種が垣間見える。何かを作ることは完全に新しく、その人でしか作れないものを目指す必要はなく、その心配を他所にどうしても個人が滲み出てしまうものなのか。 読みながら、憧れの人になりたくて真似をしてもずっとその人のようなものが作れないと苦悩する人の話を思い出す。いつ、どこで見たのか読んだのか忘れてしまったけれど、自分のオリジナリティより、誰かのオリジナリティを追い求めたい欲求と苦しみもあるのではないかと思う。
  • 2025年12月7日
    Personal matters -結婚のこと-
    結婚という、関係性の中でも社会的な制度によって定められているものとして見た時に、どういう考え方をみんなはしているのかを読みたくて買う。恋愛関係の延長線上に結婚があるという価値観は歴史的に見てもそこまで長くはないという、どこかで聞いた話を頭に浮かべながら読み、お互いの利益や、社会の負担を軽減するという意味で関係を結ぶというのも確かに合理的だなと思う。でも合理的な結果というのはあくまでその制度で得られるものでしかなくて、人と人がお互いに関係し合う上での問題や、相手の事情に組み込まれてしまう難しさはある。嫌になったらやめればいい、という道はもちろんありつつ、その上でお互いが力を合わせて生きていくにはどうすればいいのかというスタンスを持てるかどうかみたいな、相性はもちろんあるだろうけれど、個人として誰かと関係を築いていけることができるかどうか、みたいなことも大事になるなと読みながら思う。
  • 2025年12月6日
    生きるための表現手引き
  • 2025年12月6日
    苦痛の心理学
    苦痛の心理学
  • 2025年12月3日
    MOMENT(issue 5)
    デザインに関する対話とインタビューの前半。「デザイン」というものが全てを解決する手段として期待され、その分失望もある、という表現が印象に残っている。
  • 2025年12月1日
    あなたが言わなかったこと
  • 2025年12月1日
    MOMENT(issue 5)
    知り合いが買ってきてくださった本。読むのが楽しみ。
  • 2025年12月1日
    夜明けと音楽
    夜明けと音楽
  • 2025年11月24日
    WORKSIGHT[ワークサイト]29号
    WORKSIGHT[ワークサイト]29号
    アーカイブする、保存することはどういう意味を持つのか。その決定をした人と、保存され、年数が経った後、そのものに向き合う人たちにとっての意味は違うけれど、それをデザインするのか(そもそもできるのか)考えてみたい。
  • 2025年11月24日
    編棒を火の色に替えてから
  • 2025年11月24日
    何もしない
    何もしない
  • 2025年11月19日
    これがそうなのか
    現実を知る手段としての本、という話として読み取る部分が作中にあって、自分はどうやって現実を知ったのだろうと振り返る。 本なのかテレビなのか、音楽なのか、漫画なのか、少なくとも人間ではなかったように思う。 誰かが描いた現実を、何かしらのメディアで現実として受け取って、その齟齬に苦しんだり助けられたりしながら、チューニングしていくような時間もあった気がする。
  • 2025年11月19日
    これがそうなのか
    「はいチーズ」のタイトルのお話で、自分の住んでいる街や、旅先で、誰かに写真を撮って欲しいと頼まれたことを思い出す。相手にとってはきっと旅行中での大切な写真になるこの数枚を、どのようなかけ声でシャッターを切ればうまく撮れるのか、撮影する時はいつも緊張する。 何かを誰かと同じタイミングでする時の合図やかけ声を外さないような、そんなトレンドを知りたい。
  • 2025年11月19日
    物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために
    自分の言動が知らない間に誰かの物語に回収されてしまうことへの怖さの原因を知りたくて読み始めたけれど、「物語」をつくることや、求められることへの危うさと効果みたいなものが読めて楽しかった。 「物語」を知らぬ間に生き方に適用してしまうことはよくあることで、避けられないことでもあるのかもしれないと思いつつ、そのバランスをとっていく精神性というか、立ち位置の置き方にはどういう方向性があるのか、読み直して考えたい。
  • 2025年11月15日
    大正教養主義の成立と末路
    聞いているポッドキャストで紹介されていて気になる。
  • 2025年11月15日
    物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために
    久しぶりに読んだら、これまでにどんな話があったのか忘れていて、でも読み進めていくとなんとなく思い出してくるものがあって面白い パズル、陰謀論、考察というものに対する感覚と、人生に対する態度の話になって楽しく読む。
  • 2025年11月15日
    ⾳を⽴ててゆで卵を割れなかった
    読みながら、これまでの自分の経験を思い返す。 極端に言えば、この世界で自分だけがルールを把握していないのではないか、外れてしまっているのではないかという不安。法律のように明文化されていないけれど、常識的な、誰もが言われなくても把握しているルールを自分だけが把握できていない、適した言動ができていないような、そんな緊張と羞恥を覚える。 もしくは、この場で暗黙の了解的に敷かれているルールを破るのが自分になって、この場に居られなくなってしまうのではないかという恐怖心か。 そういった自意識の肥大化(という言葉があっているがどうかはわからない)が収まってきたのは、生活の中でひたすらそういったことに晒されて、何が許されて、何が許されないのか、自分の中で線引きができるようになったことと、単純な加齢による鈍感さの獲得による結果なのかもしれない。
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