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ふるえ
ふるえ
@furu_furu
本について日記に書いていたり、書いていなかったこと。
  • 2026年9月16日
    急に具合が悪くなる
    急に具合が悪くなる
  • 2026年9月14日
  • 2026年9月12日
  • 2026年9月11日
    灯台へ
    灯台へ
    久しぶりに読み、途中で止まっていて登場人物が思い出せるか不安だったが読んでいるうちにちょっとずつ思い出す。相変わらず一つのシーンが長く、焦点を当てられている人物の内面が細かく描かれていて、めっちゃいろいろ考えてるなと笑いながら読む。楽しい。
  • 2026年9月9日
    5秒日記
    5秒日記
  • 2026年9月8日
    パパ・ユーア クレイジー
    パパ・ユーア クレイジー
    最後まで読み終えて、途中のぐっとくる感じがまた押し寄せて、父と子の物語というものに浸れるこの感覚が喜ばしいというか、切ない気持ちにもなって、いろんなことが頭の中を流れていった。
  • 2026年9月7日
    パパ・ユーア クレイジー
    パパ・ユーア クレイジー
    よく見ることが何かを特別にする。分類された名前とか、そこにある意味づけられたものから離れて、今自分の目の前にものとして捉えられるようなことを考えていた。 「アートってなに?」 「なんでもアートなのさ。お前がなにかを特に眺める、お前がなにかを特に見つめる、お前がなにかを特に他のものから別にする、みんなアートなのさ」 ウィリアム・サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』(微花)訳:伊丹一三p.114
  • 2026年9月4日
    Remember 記憶の科学
    Remember 記憶の科学
  • 2026年9月1日
    好きよ、トウモロコシ。
    読みながら、自分が暮らしたり、通い詰めた街のことを思い返していた。いろんな人との出会いがあった街や、怖い思いをした街、何度も海を見に行った街、新幹線で通り過ぎたときの景色が胸に残っている街。過ごした時間は異なるけれどそれぞれに、今でもまだ思い出せる記憶があって懐かしく、その感覚がまだ更新される可能性があることが嬉しい。あの時は通り過ぎていただけの街に自分の足で降り立ち歩けることや、そこにある海だけではなく山や川も見に行くことができること。楽しみがまだまだあるなと思いながら読み進めて、最後の章で涙腺が緩んで、トウモロコシを食べたくなる。いいエッセイだった。
  • 2026年9月1日
    手の言語学
    手の言語学
    手話という身体動作で何かを表現するときの話がめちゃくちゃ面白い。「太鼓をたたく」と言葉で話してもイメージできるが、手話で話そうとすると「たたく」という動作を何かで1パターンに固定してしまうしかない。それをどのように表現するのか、どういうルールなんだろうか興味が湧いてくる。
  • 2026年8月31日
  • 2026年8月30日
    パパ・ユーア クレイジー
    パパ・ユーア クレイジー
    父と子の大事な時間を見ているようで、読み進めるごとに胸がぐっとなって苦しいのか、嬉しいのかよくわからない。 "「世界を理解する力さ」 「あなたはいつそれを見つけたの?」 「私が本当にそれを見つけたのは私が十二の時さ。でもね、私は最初から、多分、それが見つかるはずだと見当はつけていた。そして、或るものが見つかるはずだと思い続けることは、実際に見つけることとほとんど同じくらいにいいものなんだ。完全に同じくらい、とはいえないにしてもね。そのためには非常に辛抱強くなくちゃいけない。探し続けなくちゃならない。なにもかも混乱してどんどん判りにくくなっていってもね。でも、一度発見してしまえばもうーーそれはもうお前のものなんだ。お前はそれをどんなに素晴しい使い方で使おうとしたっていいんだ。どんなに素晴しくでも使うことができるんだ」" ウィリアム・サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』(微花)訳:伊丹一三p.58
  • 2026年8月30日
  • 2026年8月30日
    朝のピアノ 或る美学者の『愛と生の日記』
  • 2026年8月30日
    ある作家の日記 新装版
    ある作家の日記 新装版
    "人間的な興味をかきたてるものが全然ないという状況は平和と満足をもたらすものだ。" ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記【新装版】』訳:神谷美恵子(みすず書房)p.8 1日の出来事というより、思考の部分の割合が多い気がして、日記というのはこの別に出来事だけではなく、頭の中で思ったり、言ったりしたことも書いていいんだよなと考えていた。
  • 2026年8月25日
    パパ・ユーア クレイジー
    パパ・ユーア クレイジー
    ようやくと言っていいのか分からないけれど、本にある会話に自分が適してきたような気がして、最初の違和感みたいなものが消えて染み込んでいったような気分の良さが生まれていた。 "「もしお前が愛することができるとするならー」彼はいった。「お前は憎むこともできるんだ。もちろん、大部分の時間、お前は愛してるわけだが、しかし全く憎まないということは不可能なんだ。憎しみというのは、そのことさえ理解していればなかなか役に立つ感情なんだよ」" ウィリアム・サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』(微花)訳:伊丹一三p.29
  • 2026年8月25日
  • 2026年8月23日
    パパ・ユーア クレイジー
    パパ・ユーア クレイジー
    癖になりそうでまだなっていないけれど、たのしい
  • 2026年8月23日
    好きよ、トウモロコシ。
  • 2026年8月23日
    コーヒーにミルクを入れるような愛 (講談社文庫)
    "海は撮ると遠くなってしまうから、見返したところでこの「おっ」という感動までは再現できない。そうわかっていても撮りたくなるのが海。" くどうれいん『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社文庫)p.98 海は撮ると遠くなってしまう、というのはそうかもしれないと思いながら読む。あれだけ目の前にあった海が写真になると、たしかにあの時の海なのにここにはないような寂しさもある。でも、写真を通して思い出せる海というのはあって、記憶の中にあっても次第に忘れていってしまうから思い出したい海ほど写真を撮っておきたい。
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