
ふるえ
@furu_furu
本について日記に書いていたり、書いていなかったこと。
- 2025年12月16日
- 2025年12月14日
季刊日記 創刊号こだま,ネルノダイスキ,ドミニク・チェン,pha,伊藤亜和,初見健一,前田隆弘,北尾修一,古賀及子,こうの史代,品田遊,図Yカニナ,堀合俊博,大森時生,安達茉莉子,小沼理,尹雄大,山本浩貴,東直子,松浦弥太郎,林健太郎,柚木麻子,柿内正午,桜林直子,植本一子,武田砂鉄,浮,ピエール瀧,牧野伊三夫,猪瀬浩平,福尾匠,竹中万季,荘子it,葉山莉子,蓮沼執太,藤原辰史,蟹の親子,野村由芽,金川晋吾,鳥トマト買った読んでるひとつの本の中にいろんな人の日記が詰まっていて面白い。同じページの中で違う人の日記に変わる段があり、同じ日記というものであるにも関わらず文体や書かれていることが違うだけで全然違うものに感じる。たのしい。 - 2025年12月12日
カフェゴトーの記録川島小鳥,後藤進,瀬谷薫子気になる - 2025年12月8日
生きるための表現手引き渡邉康太郎読んでるどれだけ何かを真似てつくってみても、全く同じものはありえず、その差異にオリジナリティが、あるいはその種が垣間見える。何かを作ることは完全に新しく、その人でしか作れないものを目指す必要はなく、その心配を他所にどうしても個人が滲み出てしまうものなのか。 読みながら、憧れの人になりたくて真似をしてもずっとその人のようなものが作れないと苦悩する人の話を思い出す。いつ、どこで見たのか読んだのか忘れてしまったけれど、自分のオリジナリティより、誰かのオリジナリティを追い求めたい欲求と苦しみもあるのではないかと思う。 - 2025年12月7日
読み終わった買った結婚という、関係性の中でも社会的な制度によって定められているものとして見た時に、どういう考え方をみんなはしているのかを読みたくて買う。恋愛関係の延長線上に結婚があるという価値観は歴史的に見てもそこまで長くはないという、どこかで聞いた話を頭に浮かべながら読み、お互いの利益や、社会の負担を軽減するという意味で関係を結ぶというのも確かに合理的だなと思う。でも合理的な結果というのはあくまでその制度で得られるものでしかなくて、人と人がお互いに関係し合う上での問題や、相手の事情に組み込まれてしまう難しさはある。嫌になったらやめればいい、という道はもちろんありつつ、その上でお互いが力を合わせて生きていくにはどうすればいいのかというスタンスを持てるかどうかみたいな、相性はもちろんあるだろうけれど、個人として誰かと関係を築いていけることができるかどうか、みたいなことも大事になるなと読みながら思う。 - 2025年12月6日
生きるための表現手引き渡邉康太郎買った - 2025年12月6日
苦痛の心理学ポール・ブルーム,夏目大気になる - 2025年12月3日
- 2025年12月1日
あなたが言わなかったこと若松英輔気になる - 2025年12月1日
- 2025年12月1日
夜明けと音楽イ・ジェニ,橋本智保気になる - 2025年11月24日
WORKSIGHT[ワークサイト]29号WORKSIGHT編集部,山下正太郎,ヨコク研究所,若林恵,黒鳥社気になるアーカイブする、保存することはどういう意味を持つのか。その決定をした人と、保存され、年数が経った後、そのものに向き合う人たちにとっての意味は違うけれど、それをデザインするのか(そもそもできるのか)考えてみたい。 - 2025年11月24日
編棒を火の色に替えてから冬野虹,四ッ谷龍気になる - 2025年11月24日
何もしないジェニー・オデル,竹内要江気になる - 2025年11月19日
これがそうなのか永井玲衣読んでる現実を知る手段としての本、という話として読み取る部分が作中にあって、自分はどうやって現実を知ったのだろうと振り返る。 本なのかテレビなのか、音楽なのか、漫画なのか、少なくとも人間ではなかったように思う。 誰かが描いた現実を、何かしらのメディアで現実として受け取って、その齟齬に苦しんだり助けられたりしながら、チューニングしていくような時間もあった気がする。 - 2025年11月19日
これがそうなのか永井玲衣読んでる「はいチーズ」のタイトルのお話で、自分の住んでいる街や、旅先で、誰かに写真を撮って欲しいと頼まれたことを思い出す。相手にとってはきっと旅行中での大切な写真になるこの数枚を、どのようなかけ声でシャッターを切ればうまく撮れるのか、撮影する時はいつも緊張する。 何かを誰かと同じタイミングでする時の合図やかけ声を外さないような、そんなトレンドを知りたい。 - 2025年11月19日
- 2025年11月15日
- 2025年11月15日
- 2025年11月15日
⾳を⽴ててゆで卵を割れなかった生湯葉シホ読み終わった読んでる読みながら、これまでの自分の経験を思い返す。 極端に言えば、この世界で自分だけがルールを把握していないのではないか、外れてしまっているのではないかという不安。法律のように明文化されていないけれど、常識的な、誰もが言われなくても把握しているルールを自分だけが把握できていない、適した言動ができていないような、そんな緊張と羞恥を覚える。 もしくは、この場で暗黙の了解的に敷かれているルールを破るのが自分になって、この場に居られなくなってしまうのではないかという恐怖心か。 そういった自意識の肥大化(という言葉があっているがどうかはわからない)が収まってきたのは、生活の中でひたすらそういったことに晒されて、何が許されて、何が許されないのか、自分の中で線引きができるようになったことと、単純な加齢による鈍感さの獲得による結果なのかもしれない。
読み込み中...
