橋本吉央 "ブレイクショットの軌跡" 2025年6月30日

橋本吉央
橋本吉央
@yoshichiha
2025年6月30日
ブレイクショットの軌跡
結局読み始めるとぐいぐい進み、最後の方は、我が家の子どもたちが『鬼滅の刃』のTVスペシャルを見ている時間に一気に読んでいたのだが、終わって寝る時間になっても少しだけ残っていたので、いつもより夜更かしして読み終えてしまった。そういう読書体験のあり方は久しぶりで、満足。 「ブレイクショット」とはビリヤードの最初のショットのことだが、本作では架空の日本車の車種名にその名が付けられ、一台のブレイクショットの持ち主の変遷とともに物語が進んでいく。 プロローグで描かれた、ブレイクショット製造工場での出来事がどうその後につながっていくのか、ということが気になりながら読むわけだが、展開が非常に巧みで、続きを読みたい気持ちが途切れない。 章ごとに視点となる人物も変わっていくので、その人物にとってブレイクショットという車が持つ意味はなにか、という通底した問いを持ちつつ、群像劇的に人物の心象描写も進み、ストーリーの流れに翻弄される感覚が心地よい。 プロットの展開や、ある種の叙述トリック的な伏線回収も素晴らしく、気持ちよく驚かされて読んだ。 作品には現代でもよく取り上げられるような社会課題的要素(投資とインサイダー取引、性的マイノリティ、自動車修理の悪徳企業、悪徳不動産業、YouTuberインフルエンサーと資産運用セミナーなどなど……)もたくさん盛り込まれており、同じ世界で起きていることとして想像できるリアリティがあるのも、飽きなくて良い。 デビュー作『同志少女よ、敵を撃て』も素晴らしい作品だったが、そちらは歴史と戦争というバックグラウンドの濃密さ、その中での人間の善悪、生と死という、人間の過去と歴史の積み重ねの地層を掘っていくような、湿度と身体感を感じる重厚さだった。 対して『ブレイクショットの軌跡』は、地層というよりは地図というか、目の前に生きることの幾つもの分岐があり、その中で自分が何を選べて選べないのか、そういう現実的な生き方のありようを見るような印象だった。 舞台も現代日本が主だし、社会の論理と正義、理想と現実の中でどう考え、行動するかというプラクティカルな判断が常にちらつくような感覚と、自分の力ではどうしようもない要素の絡み合い、とでもいうか。 それから最後に、読み物としての緻密さ、密度の高さも素晴らしかったけれど、自分としては、さまざまな苦境に立たされながらも、どうにかそれぞれの持ち場で、善良さと誠実さを失いそうになりつつもそれを取り戻す、登場人物たちのレジリエンスが読んでいて心に残った。 ままならない分岐の連続の中で、どうにか自分と自分の大切な人たちにとって最善と思える道を選べることの意味と価値を、クライマックスでは感じて、とても良い読後感だった。
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