ちょこれーと* "「書くこと」の哲学 ことばの..." 2025年7月4日

「書くこと」の哲学 ことばの再履修
『他人のことばを学んだり、他人が書いたことばを読む以前に、まず自分自身が持ち合わせていることばを、さしあたり日本語で書いた/書かれたことばを、ルーペで奇妙な生物を観察するように、天体望遠鏡で遠くの星を拡大するように、見つめ直してみること。』 まずは自分の言葉を見る。 人の言葉に埋もれてしまう前に。 ●膾炙(かいしゃ):《「膾」はなます、「炙」はあぶり肉のこと。いずれも味がよく、多くの人の口に喜ばれることから》世の人々の評判になって知れ渡ること。 「ことば未満」 ➡︎文字通り、まだ「ことば」の形を取っていない感情、感覚、感触、イメージなどのこと。漠然としてはいるが、だがそこには何かがあって、ことばとして出力されるのを待っている、という感じ。 「ことばの芽」 ➡︎少し先に進んでいて、すでに言語の形を取り始めているものの、まだちゃんとしたまとまり(構造)や繋がり(論理=ロジック)を持ってはおらず、単語選び(語彙)や表現(修辞=レトリック)も吟味されていない段階。ひとつのキーワードだったり、数行の未完成の文章だったり、箇条書きされたメモだったりする。 『「ことば未満」と「ことばの芽」を行きつ戻りつしながら、「語りえぬ」と「語りえる」の二者択一に、陥らないように注意しつつ、とにかく語ってみる/書いてみること。』
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