
無題
@______enrai
2025年7月7日

妊娠カレンダー
小川洋子
読み終わった
せっかく臨月になったし、そういえば未読だったと思って手に取った。
私のなかににある、妊娠への相反する気持ちを描出しているの?と思える姉妹がでてくる。実の姉妹だというのがいい。妹にとって姉はいつかの自分かもしれないと思えることが、妊娠の逃れがたさ・肉親の分かちがたさを感じさせる。
じっさい、妊娠をめんどうばかりでもある。妊婦の身体であることを奇異だなとしか私は思えないし、ほとんど妊娠を恐怖している。臨月になったいまも、受け入れがたく感じる。
それに、自分のケア労働(私の場合は実際に母胎そのものも含まれる)を拠出してばかりではないかという疲弊と不安がいつまでもついてまわる。
妹が、神経症の姉と義兄と暮らし、家事や感情労働・ケア労働を今後も提供するのかもしれないと予感させられるところに妙がある。姉は胎児をケアしているが、それは姉が胎児を望んでのことである…と納得できる。が、実際姉の生活を支える労働は妹が行うのだ。
仕事でおそくなる夫への気持ちや、母胎になったとたん、母胎は胎児の透明ケースのようなものだと扱う人間を見ている時、妹の悪意にちゅるんとした喉越しの良さすら覚えた。
かといって、実際臨月まで妊婦をやっていると、ホルモンに振り回されて母胎になることを恐れる姉のことを横柄だと否定もできない。ホルモンや不安は私をめちゃくちゃにしたし、実際に変化し、痛みがあるのも私ひとりだ。子宮にいる子どもの親になりたいけど、社会に求められる”母親”への期待やプレッシャーには押しつぶされそうだ。”母親”にはなりたくないと何度思ったかことか。
だけど、私は妊娠をきっかけに仕事をやめられたというのもある。女だからやめることができたし、妊娠にあやかっている。姉もおなじように妊娠にあやかって人を振り回し、ケアされることを当然と思って振る舞う。
少なくとも私の中には、姉も妹もいた。体のなかにいるので表出されていない、より混沌としたかたちとして。
それが人格と人生を分けたふたりとして描かれているようで、悪意すら面映かった。

