妊娠カレンダー

34件の記録
- 無題@______enrai2025年7月7日読み終わったせっかく臨月になったし、そういえば未読だったと思って手に取った。 私のなかににある、妊娠への相反する気持ちを描出しているの?と思える姉妹がでてくる。実の姉妹だというのがいい。妹にとって姉はいつかの自分かもしれないと思えることが、妊娠の逃れがたさ・肉親の分かちがたさを感じさせる。 じっさい、妊娠をめんどうばかりでもある。妊婦の身体であることを奇異だなとしか私は思えないし、ほとんど妊娠を恐怖している。臨月になったいまも、受け入れがたく感じる。 それに、自分のケア労働(私の場合は実際に母胎そのものも含まれる)を拠出してばかりではないかという疲弊と不安がいつまでもついてまわる。 妹が、神経症の姉と義兄と暮らし、家事や感情労働・ケア労働を今後も提供するのかもしれないと予感させられるところに妙がある。姉は胎児をケアしているが、それは姉が胎児を望んでのことである…と納得できる。が、実際姉の生活を支える労働は妹が行うのだ。 仕事でおそくなる夫への気持ちや、母胎になったとたん、母胎は胎児の透明ケースのようなものだと扱う人間を見ている時、妹の悪意にちゅるんとした喉越しの良さすら覚えた。 かといって、実際臨月まで妊婦をやっていると、ホルモンに振り回されて母胎になることを恐れる姉のことを横柄だと否定もできない。ホルモンや不安は私をめちゃくちゃにしたし、実際に変化し、痛みがあるのも私ひとりだ。子宮にいる子どもの親になりたいけど、社会に求められる”母親”への期待やプレッシャーには押しつぶされそうだ。”母親”にはなりたくないと何度思ったかことか。 だけど、私は妊娠をきっかけに仕事をやめられたというのもある。女だからやめることができたし、妊娠にあやかっている。姉もおなじように妊娠にあやかって人を振り回し、ケアされることを当然と思って振る舞う。 少なくとも私の中には、姉も妹もいた。体のなかにいるので表出されていない、より混沌としたかたちとして。 それが人格と人生を分けたふたりとして描かれているようで、悪意すら面映かった。
- ほんね。@Honne_03302025年6月20日読み終わった登録忘れ。「ドミトリィ」の不穏さが癖になる。 どの話も水の中に1滴黒の色水を垂らしたような感じ。 食べ物の描写が一切美味しくなさそうで気持ち悪さすら感じる。ある種の悪阻体験。 文章が綺麗で文学的だからこそ異質さが際立つ。結構好みかも。
- もん@_mom_n2025年3月29日読み終わった心に残る一節読書日記@ 自宅一人きりの静かな部屋で読む小川洋子さんの文章、とても沁みる。 「妊娠」という言葉を敬遠して今まで読まずにいたことを本当に後悔した。 私は小説に登場する果物の描写がもれなく好きで、『妊娠カレンダー』に登場するキウイもぶどうも枇杷もグレープフルーツも本当にたまらなかった。 p.53 「やまぶき色の果肉がガラスの破片みたいに何枚も何枚も薄く重なり合って、シャリシャリ音がする枇杷のシャーベット。枇杷のシャーベットが食べたいの」 p.89 嵐はいつまでも止まなかった。わたしはベッドの中から、海の底と錯覚しそうな深い闇を見つめていた。じっと息を殺していると、闇がか細く震えているのが分った。闇の粒子が、怯えるように宙でぶつかり合っていた。
- amy@note_15812025年3月6日かつて読んだ小川洋子の『妊娠カレンダー』を読んでいなかったので、今さら読んだ。ほんとにこの人は美しい文章を書くな… 薄い氷みたな冷たくて繊細で割れたらその角が尖ってる感じの 文章の美しさを咀嚼していたらいつのまにか終わってる。ただ妊娠と出産という事象に祝祭的な雰囲気は作中ほぼ見られず、そこには強く惹かれた 私も妊娠・出産という事象に対しては正直なところ気味が悪いと思っている。主人公”わたし”の姉が言ったようにに人間の身体のなかで10ヶ月もの長いあいだ、もうひとりの人間が育つという事象が私にはどうにも良きことだと思えない。ひたすらにおそろしいと思う 妊娠・出産に対しては村田沙耶香もSF的な設定を用いて性別による非対称性などを描いたりもしているが、やっぱり安直なめでたきこと、という内容よりもそのグロテスクさやシビアさを描く作家が私は好き
- 夏しい子@natusiiko2025年3月6日かつて読んだ『妊娠カレンダー』は別の生き物のようになっていく 姉の観察日記をつける主人公の冷静な目線が好き。 『ドミトリイ』は先生にのめり込み、いとこを求める主人公に、スウェーデンの夫の事は大丈夫なのかと心配になる。 こちらはメタファ強めの作品かな。 『夕暮れの給食室と雨のプール』は男の人の話は心地良かったが、おじいさんにお金渡しちゃダメでしょうと読みながら突っ込んだ。