
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年7月7日

柳田国男と民俗学の近代
菊地暁
まだ読んでる
お風呂読書
〈ある民俗の写真があるということは決して単純なことではない。一枚の写真を通して眼にすることのできる被写体のこちら側には、それを撮影したカメラがあり、それを操作した撮影者がいる。そこには写真機やフィルムを所有する資本の存在があり、写真という技法を操作する知の存在があり、その資本や知を運用する主体、民俗を被写体とするまなざしが存在する。そして、そのまなざしの向こう側には、まなざしに晒されることを積極的に受容する、あるいは拒絶することのできない身体が存在する。[...]写真の解読とは、その対象への透明性がどれほど自然化されていようとも、その画面に写らなかった「こちら側」の存在を認識することからしか出発できないはずだ。〉(185-186頁)
第三章二節まで読む。写真と民俗、柳田と写真、この章も面白そう。
