
うえの
@uen0
2025年7月8日

回復する人間
ハン・ガン,
斎藤真理子
読み終わった
急に傷つくことはあっても、急に回復することはないのかもしれない。光の加減で少し煌めく細い糸を少しずつ手繰り寄せていくような、そんな回復。
全てを手繰り寄せたとて、壊れる以前の自分に戻るわけではない。
それを分かりながらも、手繰り寄せていくような歩み。
そして夢がどの物語にも現れる。
印象に残った言葉----------
回復する人間
彼女はまるで散歩に出てきた人みたいにゆぬくりと、壊れやすい沈黙を保護しているかのような慎重な足取りで階段を上っていた。
どんな人間関係にもありうる誤解と幻想が、彼女と私のあいだにもあった。
姉さんの罪なんて、いもしない怪物みたいなものなのに。そんなものに薄い布をかぶせて、後生大事に抱いて生きるのはやめて。ぐっすり眠ってよ。もう悪夢を見ないで。誰の非難も信じないで。
だけどそのうち一つだって、私は口にすることができなかった。
彼女が帰ってこない。この文章を消して私は待つ。全力で待つ。あたりがほの青く明るくなる前に、彼女が回復した、と最初の一行を私は書く。
これらのすべての痛覚はあまりにも弱々しいと、何度も両目をまばたきしながらあなたは思う。今、自分が経験しているどんなことからも、私を回復させないでほしいと、この冷たい土がもっと冷え、顔も体もかちこちに凍りつくようにしてくれと、お願いだからここから二度と体を起こせないようにしてくれと、あなたは誰に向けたものでもない祈りの言葉を口の中でつぶやきつづける。
こんな日の夜の散歩でいちばん大事なのは視線に耐えるということだ。偏見と嫌悪、軽蔑と恐怖の視線、ときに露骨でときに慇懃なそれらの視線を感知しながら黙って前へと進む。
離れ小島に二人きりで漂着したように、私たちはしだいに互いを窒息させるようになった。そうして、二度と渡れない川を作っていった。互いへの配慮、相手のためになりたいという気持ち、友情、仲間意識などは川の向こうに残された。
痛みがあってこそ回復がある。
韓国の小説を読んでいると往々にして、本を閉じても登場人物が何処かで生きつづけているような気がすることがある
ページを閉じても終わらない、読者と一緒に生きていく女性たち。
