回復する人間

71件の記録
- DN/HP@DN_HP2025年10月3日かつて読んだarchive繊細だけれどとても鋭い、傷ついたり傷つけたりしてしまいそうな文章。そんな文章でしか書けない傷や悲しみ苦しさ、人生がある。それらの殆どの人生、物語には最後に光がさす、希望が垣間見える。前に進めるように開いた小説たち。それらは回復を促すように書かれたのかもしれない。 だけれど、ある短編の登場人物が「私を回復させないで欲しい」と願うように、残しておきたい傷や忘れるべきではない悲しみ苦しさもある。回復とは忘却にも近い。傷や悲しみ苦しさを忘れないために書き残された、そんな風にも思えた。 回復も忘却も、時間を使って人生が行使する必要な力だ。 だけど、それに抗うように傷を悲しみや苦しさを持ち続けることも必要なことがあるのが人生だ。相反するようにも思えるけれど、どちらも必要なことがこの短編集には同時に書かれていた、そう読んでいた。 最後の一編を読み終わって、知らずに強張っていた身体が解れてため息が出た。消えることのなかった傷や忘れていなかった悲しみ苦しさを思う。もう一度ため息が出た。その意味を考えている。 そうだということを意識させない、元々あった繊細さや鋭さも失っていないように思える翻訳もやはり凄かった。 この短編集のなかでは異質な一編、勝手に動き出す左手に翻弄され、生活を狂わされ、自らも狂っていく、不可解で悲しくて希望もない話。三人称で書かれているから書き方はまた違うものなのだけど、その短編で感じる、不可解だけれどない話ではない、自分にも降りかかることがあるかもしれないという怖さは、実話怪談に感じる怖さとも同じようなものだった、ということも書いておきたい。
- 💛@okiotashikani2025年9月12日『エウロパ』のイナ、『回復する人間』の姉。このふたりによって自分の世界と現実の社会(外の世界)との折り合いをつけることについて描いているのかなと思った。『左手』もそうかもしれない
- 💛@okiotashikani2025年9月12日危篤の文学だ、と思った。「私はもうこんなものが好きではない。果たして右手が治るのか、また制作ができるかどうかさえはっきりわからないが、もう一度描くとしたらこんな静けさなど描かない、そんなことより私は泣き叫びたい。髪を振り乱し、足を踏み鳴らしたい。歯を食いしばり、動脈がちぎれたときにそこからほとばしる血を見たい。この絵の驚くべき静けさ、想像も及ばない歳月の重なりが停滞して醸し出す安らかさが、私に吐き気を催させる。この平和は私のものではない。私はもう違う人間になったのだ。むしろ死のような空虚、荒地の惨酷さ――その方が私にとっては真実のように感じられる」(pp.207-208)
- 💛@okiotashikani2025年9月12日『エウロパ』はクィアの物語だった。「優しく僕の名前を呼んだあと、イナは続けて問いかけた。(もしもあんたが望み通りに生まれてきてたら、何をしてたと思う?)僕は答えなかった。(思い通りに生きていけたら何をしてる?)僕はやっぱり答えられなかった。その瞬間、狂おしいほど熱くこみ上げてきた言葉を僕が口にしていたら、僕らは初めてけんかしたかもしれないし、それでおしまいになったかもしれなかった。(やめてくれよ。僕が君を愛してるとしても、そんな答えを僕に言わせることが可能だなんて思うなよ。黙れ。黙れってば。)」(p.90) この部分は『ギリシャ語の時間』での決裂の場面を思い出した。作中の詩の「エウロパ」は愛する他者、それは限りなく他者でもある、に向けてうたったものかもしれない。
- ヤヲラ@Yawora_03022025年9月7日読み終わったハン・ガン作品3冊目。 作者自身が怪我を負い、ずっと感覚を失っていた患部が痛んだ際に、それが傷が治ったということなのだと医師に告げられたことがあったらしい。痛みを感じることが人の回復の過程には必要なのだいう意味合いのことがあとがきに書かれていた。 この短編集に登場する語り手は皆、心身に深い傷を負っている。その傷や痛みの有様が、一文一文、一文字一文字に刻み込まれるよう書かれてある。静かに、とても強く。 だからといって読みながら目を背けたくなる(あるいは読むのを中断してしまう)のかというとそんなことはなかった。それはこれらの作品に通底するテーマがタイトルの通り『回復すること』だからだと思う。回復の兆しはほの明るい。 だから私は「エウロパ」のふたりが夜を歩くシーンに見惚れ、否が応でも癒えてしまうということを拒絶する表題作の語り手の心情には覚えがあると強く思い、火とかげのラストに美しい希望を見た(ついぞ回復しえない「左手」の語り手の抑圧された苦しみが暴発し、破滅していく様は夢中で読んだのだけど)。 この流れで、6年程自宅に積んである『菜食主義者』も読んでみたいと思う。毎回同じ場面で一旦置いてそのままにしてしまうから、今度こそ読み通せたら良い。
- 💛@okiotashikani2025年9月4日読み終わった「私の体があぶくのように砕ける。永遠に時間が停止する。私は震える。恐ろしさのために。美しすぎることは苦痛でもあると初めて知ったために。それが釘のように、また種子のように体内に食い入ってくることもあると知ったために」p264 「火とかげ」より 美、永遠、命… 美しさの苦痛については他の作品でも描かれていたように思う。 『ギリシャ語の時間』だったかな?
- 桃缶@mel0co2025年7月25日読み終わった@ カフェ「菜食主義者」が面白くて読み終わった後すぐ購入した「回復する人間」読了。 裏表紙に書かれた、文芸評論家シン・ヒョンチョルさんの言葉通り〈傷と回復〉をテーマにした短編集でした。 主人公たちはあらゆる傷(肉体的なもの、精神的なもの問わず)に抗い、または受容しようと努め、もがく。ほとんどの話で傷がすべて解決するわけではなく、しかしこれからも傷を負ってままならないからだを生きていく。 自分には精神障害があって、ここ数年は朝起きられず、思った通りに行動することがままならないことが課題だった。 最近、主治医の薬の調整や自分の努力によって、なぜか朝すっきり目覚められる日が増えて、不思議な気持ちでいる。 この本を読み進めている最中に朝起きられるようになったことで読書の時間が増えて、やっと読み終えることができた。 そのおかげで主人公(特に火とかげ)と自分を重ね合わせ、自分にとって精神障害とは傷であり、ほんのちょっと回復をしたのだということが理解できた。 ドイツの哲学者、アルフォンス・デーケンが遺族の悲嘆のプロセスは12段階あると提唱しており、それは全て順番通りにいくわけではないし、心理的に回復したと思ったらまた元の状態に戻ることもあると聞いた。 回復とは一筋縄ではいかない。それぞれのラストの後、また辛い思いをするかもしれない。だが、生きていくこと自体が傷に対する抵抗になり得るのだと思う。 長々と回復について語ったが、「左手」の主人公のラストは例外だ。悲惨で、回復ができない取り返しのつかない最期だが、わたしはこの仕事にも家庭にも鬱憤を抱えた男性像と、寄生獣のミギーのように勝手に動く左手に好感が持てる。左手は彼の秘めた欲望を体現するような存在であり、社会の倫理と衝突し結局は自滅する。その哀愁がマチズモを感じて、個人的には好きだった。 次にハン・ガンさんの作品を読むなら「少年が来る」を読みたいのだが、一昨日読みたかった本を3冊も買ってしまったので、消化してからにする。
- うえの@uen02025年7月8日読み終わった急に傷つくことはあっても、急に回復することはないのかもしれない。光の加減で少し煌めく細い糸を少しずつ手繰り寄せていくような、そんな回復。 全てを手繰り寄せたとて、壊れる以前の自分に戻るわけではない。 それを分かりながらも、手繰り寄せていくような歩み。 そして夢がどの物語にも現れる。 印象に残った言葉---------- 回復する人間 彼女はまるで散歩に出てきた人みたいにゆぬくりと、壊れやすい沈黙を保護しているかのような慎重な足取りで階段を上っていた。 どんな人間関係にもありうる誤解と幻想が、彼女と私のあいだにもあった。 姉さんの罪なんて、いもしない怪物みたいなものなのに。そんなものに薄い布をかぶせて、後生大事に抱いて生きるのはやめて。ぐっすり眠ってよ。もう悪夢を見ないで。誰の非難も信じないで。 だけどそのうち一つだって、私は口にすることができなかった。 彼女が帰ってこない。この文章を消して私は待つ。全力で待つ。あたりがほの青く明るくなる前に、彼女が回復した、と最初の一行を私は書く。 これらのすべての痛覚はあまりにも弱々しいと、何度も両目をまばたきしながらあなたは思う。今、自分が経験しているどんなことからも、私を回復させないでほしいと、この冷たい土がもっと冷え、顔も体もかちこちに凍りつくようにしてくれと、お願いだからここから二度と体を起こせないようにしてくれと、あなたは誰に向けたものでもない祈りの言葉を口の中でつぶやきつづける。 こんな日の夜の散歩でいちばん大事なのは視線に耐えるということだ。偏見と嫌悪、軽蔑と恐怖の視線、ときに露骨でときに慇懃なそれらの視線を感知しながら黙って前へと進む。 離れ小島に二人きりで漂着したように、私たちはしだいに互いを窒息させるようになった。そうして、二度と渡れない川を作っていった。互いへの配慮、相手のためになりたいという気持ち、友情、仲間意識などは川の向こうに残された。 痛みがあってこそ回復がある。 韓国の小説を読んでいると往々にして、本を閉じても登場人物が何処かで生きつづけているような気がすることがある ページを閉じても終わらない、読者と一緒に生きていく女性たち。
- mimosa@mimosa092025年5月24日読み終わった借りてきた痛みがあってこそ回復があるー回復するのか?ホントに大丈夫か?みたいな人たちばかり出てきたけど…読み応えありました。心がヒリヒリ、ザワザワする。
- はぐらうり@hagurauri-books2025年4月27日読み終わったノーベル賞作家の短編集。それぞれ書かれている年代は違うものの、テーマは「傷と回復」で間違いないのだと思う。 傷がだいぶ深くて回復するのは困難を極めるものばかり。回復のきざし、をえがいているのかなと思う。とかげは再生。人はそこまで簡単には再生しない。だからかな。 淡々と進んでいくが時系列がややわかりにくく、もっと時間をかけて読まないといけない小説なんだろう。最初に読むのがこの作品で良かったのかわからないが、いくつか読むつまり。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月23日読み終わった雨が降っていてお客さんは来そうもないから、奥の部屋で最後の1篇を読んだ。フヅクエで読み進め、お客さんが来なくて静かな実質的にフヅクエみたいな環境となった店内の奥の部屋で読み終えたのはよかった。「火とかげ」の主人公には、どこか感情移入するものがある。すごいある。でもどこが、となると言葉にするのは難しい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月22日読んでるまだ読んでる私はもうこんなものが好きではない。果たして右手が治るのか、また制作ができるかどうかさえはっきりわからないが、もう一度描くとしたらこんな静けさなど描かない、そんなことより私は泣き叫びたい。髪を振り乱し、足を踏み鳴らしたい。歯を食いしばり、動脈がちぎれたときにそこからほとばしる血を見たい。この絵の驚くべき静けさ、想像も及ばない歳月の重なりが停滞して醸し出す安らかさが、私に吐き気を催させる。この平和は私のものではない。私はもう違う人間になったのだ。むしろ死のような空虚、荒地の惨酷さ――その方が私にとっては真実のように感じられる。(p.207-208)
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月21日読んでる@ 本の読める店fuzkue 下北沢はじめてフヅクエに行くならどの本だろうか、と考えて目に入ってきたのがこの本だったのは我ながらナイスチョイスだった。右肩上がりのスピーディーな回復ではなく、ときに傷を見つめることすら回復となるということを教えてくれる物語たちは、この場所に最適と思えた。表題作「回復する人間」は2人称小説なのだけど、この語り方は自ずと未来を指向するのかもしれない。たぶんどこかでこういうことを読んだ気もする。それと、やはりここでも自転車に乗ることが開放感や休息の象徴になっていて、みんなもっと自転車に乗ろう、自転車だ自転車、自転車〜〜〜となる。あと2篇を残して退店、B&Bへ。
- ひつじ@mgmgsheep2025年3月13日読み終わった通底するテーマが同じ物語を、表に現れる小さな共通点でリレーしたような短編集だった。 ハン・ガンさんの小説はいつも静謐な映像が頭の中で再生される。 本書の中では少し異質な、「左手」のような抑圧された痛みも掬い上げられるようになるといいなと思う。
- にわか読書家@niwakadokushoka2025年1月23日読み終わった@ 自宅長谷川書店水無瀬駅前店のレジ前に置いてあって、思わず追加購入したもの。 短編集だが、読み始めるなり「これはハン・ガンだわ」と思えるのがすごい。 『すべての、白いものたちの』『ギリシア語の時間』『少年が来る』に次いで4冊目の読了。