
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2025年7月9日

まだ読んでる
歴史が「実際にあったこと」として、つまり史実として正しいことのみで構成されてしまうのではなく、そのような文献的なもののみならず人々の記憶のなかにのみ残っているようなものによっても構成されるべきなのだ、というカリブ海思想は、不思議なことに現在進行形で脅威となっている排外主義への抵抗手段にもなりうるのかもしれない。
記憶の継承こそが歴史の要点なのだと語る西洋の学者は、しかしその「家族」を核家族だったり血の繋がりのあるものとしてしか想定しない。一方で、奴隷制などによって分断されたカリブ海の人々の「血統」は、伝統的な家族観の枠組みを超えて存在している。血が繋がっているかどうか、同一民族であるかどうか、そんなことは関係なく紡がれていく生活、生活の積み重ねである歴史は、「単一」であることに縋った関係性よりも強靭なものとなる。
難しいのは、単一的で伝統的な家族観だったりを求めている者らは、実際に強靭である関係性を求めているわけではなく、単にそのイデオロギー的なものに酔いしれているだけなのだろう、ということだったりする。だから「こっちのほうがつよいよ!」と言ってもなびかない。









