
ちょこれーと*
@5_ogd
2025年7月14日

嫉妬論
山本圭
読んでる
『浪費は身の丈にかなったものであれば美徳になるが、行き過ぎると途端に示威的なものになる。美徳と悪徳の境界はきわめて曖昧であり、徳の傍にはつねに悪徳が控えていると言ってよい。』
『そもそも「贅沢」(luxury)という言葉は、ラテン語の二つの名詞に由来する。その二つとは「官能、華美、華やかさを意味するluxusと放縦、不節制、浪費を意味するluxuria」であり、この両義性には、贅沢そのものは好ましいとしても、度を過ぎるとたちまち悪徳になってしまうといった特徴がよく現れている。』
やっぱり何事もほどほどが大切。
『かつて「持つ者」は「持たざる者」からの嫉妬を恐れ、富や成功を隠す傾向にあったが、ソーシャルメディアの時代にあって人々は自身の幸福をもはや隠そうとはしない。それどころか、自身の幸福を過剰に繕い、実態以上に見せることすらある。』
SNS疲れという言葉を聞いたことがある。友人はこんなにも充実した生活を送っているのに…と惨めな気持ちに陥る。ソーシャルメディアが活発化するに伴い、見せる部分と見せない部分の境界が曖昧になった。息をつく暇もなくいつも競争に晒されているようなものなのだから、それは疲れるのも当然かと思った。
また、現代の生きづらさの要因として、この境界が曖昧になったことで、自分という人間を必要以上に大きく見せようとしてしまい、現実との乖離が生まれる点も挙げられるのではないかと思った。
だからこそ、アナと雪の女王の「ありのまま」も現代人に響いた。
だけど、他人からの評価で塗り固めた自分を選んできた人はどのように自分を再構築したらいいのだろう?