
中根龍一郎
@ryo_nakane
2025年7月14日

チャイニーズ・タイプライター
トーマス・S・マラニー,
比護遥
読んでる
検索のためにハングルやタイ文字を入力することがある(といっても韓国語やタイ語がわかるわけではないけれど)。ハングルはあるていど指も慣れていてなんとなく打てるのだけど、タイ文字はキーボードビューアを見ながらでないと打てない。キーボードビューアは、シフトキーを押すと、シフト後の各キーに表示が切り替わる。そして、シフトキーを押した時のタイ文字の「シフトっぷり」にはしばしばびっくりしてしまう。タイ文字は種類が多い。
タイプライターという有限の空間にあまりにも多すぎる中国語の漢字をどう配置しうるか、という問題が『チャイニーズ・タイプライター』の出発点であり、タイ文字の話はその道すがらに少し触れられるだけだ。1892年にエドウィン・マクファーランドによって発明されたシャム語タイプライター(シャムはタイの旧称)の話が、この本の頭に少しだけ紹介される。初期のタイプライターのさまざまな姿のうち、ダブル・キーボードという84のキーによってアルファベットの大文字小文字や各種の記号を打ち分ける形式が、シャム語タイプライターに採用された。44の子音と32の母音、5つの声調、10の数字、8つの句読点を持つシャム語の表記にとって、そのキー数はどうしても必要で、のみならず、それでもなお足りなかった。
シャム語の文字体系も変わる必要があった。技術言語学的交渉にあたっては、無傷で済まされることはないのだ。エドウィンの弟のジョージの回想によれば、八四ものキーがあっても、スミス・プレミア機は「シャム語アルファベットを全て書くためには二つ足りなかった。[エドウィンは]どう頑張っても、全てのアルファベットと声調符号を機械に組み込むことはできなかった。そこで彼は非常に大胆なことをした。シャム語アルファベットから二文字を削ってしまったのだ」。そして、こう書き加えている。「〔その二文字は〕今日、完全に廃れてしまった」。
(『チャイニーズ・タイプライター』p.65)
なかなか手に汗握る話だ。でも日本語の字体がJIS規格の変動に伴って被った混乱や、戸籍電子化の際の文字整理の問題、住基ネット統一文字コードが一部Unicodeと衝突している問題などなど、テクノロジー化のプロセスのなかで消えていった、ないし消えていこうとしているたくさんの文字を思えば、非アルファベット文字体系の技術的なきしみは、対岸の火事とも思えない。
少しずつ読み進めていて、今は中国語タイプライターが日中戦争によって日本製のものにシェアを奪われていくあたりに入っている。不可能と思われた中国語タイプライターは、入力できる漢字数を縮減することで可能になった。とはいえそれでもアルファベットに比べれば膨大な数のキーを、中国語のタイピストたち、日本の(つまり漢字文化圏の)タイピストたちは、身体化することによってコントロールする。訓練が膨大なキーを打つことを可能にする。それはハングルのキーボードを打ち、タイ文字のキーボードを打っているときに、次第に、どこになにがあるかを指が覚えていくプロセスに似ている。ブラインドタッチがだんだん速くなっていくときのような懐かしい修練の快感がそこにはある。




