mikechatoran "歩くという哲学" 2025年7月15日

歩くという哲学
歩くという哲学
フレデリック・グロ,
谷口亜沙子
「歩く」というきわめてシンプルで基本的なことについて、ランボーやルソー、カントなどを通して考察する。特に「存在することの純粋な感覚」という箇所が印象的だ。読みながら野原を街を森の小道を無性に歩きたくなった。/ところで「歩く」という行為と「編む」という行為には多くの共通点がないだろうか。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved