こここ "他者といる技法" 2025年7月15日

他者といる技法
文庫ではなく、1998年第一版の単行本の方を読んだ。 「コミュニケーションの社会学」との副題だが、ちょっと心理学的な要素を感じつつ読んだ。 私達は「理解の過小」を苦しみ論じるが、「理解の過剰」という苦しみも存在しそれはあまり論じられることがない。 理解し過ぎることや理解され過ぎることもまた差別や暴力から逃れられない状態に人を留めてしまう。 「わかりあえない」けれど「いっしょにいる」ための技法は、質問しあい、説明しあい、「はなしあう」ことだと著者は言う。 「わかりあえない」という状態は居心地が悪く出来れば避けたい状態である。そのとき、「理解」だけが解決するための技法ではないと。 わかりあえなくとも共にいることが出来るのなら素晴らしいし、必要なことだ。 わからなさを抱え他者と共にいるという事は、ネガティヴケイパビリティだろうと思う。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved