
あさげ
@asage
2025年7月17日

知ってるつもり
スティーブン・スローマン,
フィリップ・ファーンバック,
土方奈美
読み終わった
集団としての知を最近よく考えているので非常に興味深く読んだ。
原題は『The Knowledge Illusion: Why We Never Think Alone』。こっちのほうが内容をよく表していると思う。
以下、引用
「一般的に物理的世界を使ったほうが思考はうまくいく。この事実は、思考は頭の中だけで起こる肉体とは無関係のプロセスではないことを示唆している。知的活動は脳内だけで起こるのではない。むしろ脳は身体その他の物質世界を巻き込んだプロセス体系の一部にすぎない。」
「私たちがテクノロジーを人間のように、つまり知識のコミュニティの完全な構成員として扱うようになってきたことだ。その最たる例がインターネットだ。私たちは他者に知識を保管するのと同じように、インターネットに知識を保管しておく。他者の頭の中に知識があり、それを利用できるときには、私たちが自らの理解度を過大評価する傾向があることはすでに見たとおりだ。知識を共有するコミュニティで生きているため、個人は自分の頭の中にある知識と他者のそれとを区別することができない。それが説明深度の錯覚につながる。他の人々の知識を自分の理解度の評価に含めるため、自分の理解度を実際より高く見積もる。 インターネットを検索するときも、まったく同じ「境界での混乱」が生じる」
「知能はもはや個人の推論能力、問題解決能力ではなくなる。個人が集団の推論や問題解決プロセスにどれだけ貢献するかだ。単に記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった、個人の情報処理能力に関する話ではない。他者の立場を理解する能力、効果的に役割を分担する能力、感情的反応を理解する能力、傾聴能力なども含まれる。知識のコミュニティという視点で考えると、知能ははるかに広範なものとなる。コミュニティに貢献する方法はいろいろある。独創的発想を出すのも、長期間にわたって退屈な作業に粛々と取り組むのも貢献だ。すばらしい弁舌家であることも、舵取り役であることも、みなそうである。」
「全員に何もかも教え込もうとするのは不毛だ。そうではなく個人の強みを考慮し、それぞれが最も得意とする役割において才能を開花させられるようにすべきだ。また他者とうまく協力するための能力、たとえば共感や傾聴の能力に重きを置く必要がある。コミュニケーションやアイデアの交換を促すためには、事実を見るだけではなく批判的に思考する能力を身につけさせることも欠かせない。就職に有利な知識ではなく、一般教養を教える価値はここにある(26)。」
