
ryoya
@ryoya0707
2025年7月17日

ここは安心安全な場所
植本一子
読んでる
141
「自分のために生きる」「自分自身で生きる」は、おれもずっと悩んでいることだと思う。彼女のため、親のため、クライアントのため、友人のため、それはもちろんその先にある自分のためだけど、何か他者を介在しない「自分のため」の生き方ができているのかにはまだ自信がない。とはいえ、自分に甘いところも多分にあるから、本を読もうとか、美味しいものを食べようとか、自分の欲求に素直なところはもちろんある。でもそれとはちょっと違う方向の「自分のために生きる」という選択をもっとしたいと思う。
4月、初めての一人旅でインドに行った。これは自分のための時間だった。間違い無いと思う。誰の期待も受けず、ただ2週間自分ために生きた。寂しくて、つまらない時間もあったけど、でも何か満たされていくような感覚もあった。それは自分のために見たい景色を見たり、一つ一つの選択をしたり、自分を大切にしたり、自分を信じて人との出会いと向き合ったり。勇気を出せたことに感動したり、その逆があったりしたからじゃないかな。旅人というのは出会いと別れをたくさん経験する。変化も経験する。なんだから、毎日生まれて、毎日死を目にしているような感覚になる。でも、それがこの世界の本当なんだなとも思う。生と死を思うことが、日々から失われているんだと。バラナシで止まったゲストハウスの屋上から見たガンジス川が本当に綺麗だった。時間の流れが、日本にいる時とは違った。
インドでカメラを持ち歩いて、出会う人や景色の写真を撮った。遠慮してばかりだった。火葬場を撮りたくて、でも撮っていいのか、なにかトラブルになるんじゃ無いか怖くて、ファインダーを覗かずに隠し撮りをした。そしたら一緒にいた、ゲストハウスで出会った友人が「撮りたいならちゃんと撮ったらいい。隠し撮りするんじゃなくて」と少し苛立ちながら伝えてくれた。 そこから、少しずつ目の前の現実と向き合えるようになった。堂々と生きていきたいと思った。撮りたいことは自分自身の気持ちなのだから。少なくとも、自分は否定しなくていいんだ。


