ここは安心安全な場所

40件の記録
- mikata@arhg_mkt2025年8月24日読み終わったタイトルに惹かれて一気に読んだ。初めての著者さんだと思っていたら、以前往復書簡の本で読んでたことに気いた。どこでつながってるのか不思議。遠野の地での安心と安全についての語りはとてもリアルで内に響く感じがした。最近の私のコンセプトにも通じたりしたので今このタイミングで読めてよかったなぁ。もう1回読みたいし、他の著作も読んでみたい。
- wuriko@wuriko2025年8月16日読み終わった@ 電車6月に神戸の本の栞さんで買って寝かせていたけれど、時間のあるお盆休みにようやく。高尾山にむかう中央線の中でゆっくり噛み締めるように読めた。 20代の頃、家や会社、仲間や恋人など、自分らしくいられると思える場所がなかった私は、毎週末バスに乗って北陸へボランティアをしに通っていた。 一緒に滞在する人との関わりや、現地で暮らしてる人の生い立ち、朝早くベッドを抜け出して辺りを撮影する気持ち。私は植本さんのように鮮やかな言葉でそのときの気持ちを残すことはできなかったけれど、重なる部分があって苦しかった。 思い出して苦しいということは、そこは私の安心安全な場所ではなくなってしまったということなのだけど。いつか一人で生きていくことになったら、私はどこに心を休める場所をつくれるんだろう。そんなことを考えて読んでいた。 同僚におすすめしたところ「図書館の本みたいに、自分でラミネートしてるのかと思った」と言われた、表紙のツルツル具合も写真と合っていていい。
- aino@aino82025年8月6日読み終わった選書していただいた本。馬といえば競馬場や乗馬など、鞭で叩かれるのを見るのが嫌という印象があり、そんな馬との生活で癒されるものはあるんだろうかと疑問に思ったのを覚えている。 読んでみれば鞭なんて使うわけなく、使役動物としての役目を持たない馬との生活だった。 人間の思い通りにならない馬との関わりに苛立ったこともあるというような、少し後ろ暗く感じるようなことも書いていて、こちらがほっとしてしまった。
- ON READING@onreading2025年8月5日読み終わったかつて読んだ@ ON READING自身の経験を真摯に文章にしてきた写真家、文筆家の植本一子による、あなたとわたしの現在地をみつめるエッセイシリーズ「わたしの現在地」。 二年前、西村佳哲さん主催のワークショップ「インタビューのワークショップ」に参加するため、遠野のクィーンズメドウ・カントリーハウスを訪れた著者は、そこで暮らす馬たちと、その馬のお世話をする「とくさん」に出会い、それ以来、数回にわたって通うようになります。 日頃の生活のなかでの名前や、社会的役割から離れ、ただの「わたし」として、人や馬と出会うこと。言葉を介さない馬との、気のやりとり。暗闇で、馬の気配を感じることーー。 傷を負い、葛藤を抱えながら生きてきた心を携えて、馬たちと過ごす静かな時間のなかで、自身の変わっていく内面を見つめた、8篇のエッセイと1篇の詩、そして写真。さらにこのエッセイ集の主要人物である「とくさん」こと徳吉英一郎さんの寄稿文を収録しています。 肩書や役割を脱いでしまった自分はきっと、最初は少し心細い。けれどそうした「無名」の状態でただそこにいることは、ほかならぬ自分自身と出会いなおすことなのだろう。「自分自身で生きる」ってなんだろう。何度も問い直す植本さんの姿をみて、私たちは一生をかけて、その練習をし続けているのかもしれない、と思った。 冒頭、久しぶりだというフィルムで撮影された写真が、まず素晴らしい。植本さんの世界に向き合う態度。人懐っこく、同時に少しおびえて、まっすぐに。それが本当に写真から伝わるのです。 私は今作、最高傑作だと思います。毎度、最高傑作を更新してくる植本さんなので、たぶん、次回もそう言うかもしれないけど。
- すべての本読み読み委員会@nadare2025年8月3日買った@ 青山ブックセンター植本一子×武田砂鉄トークイベント🍈🌿 安心も安全もここにあるよ。/ 青山ブックセンターの好きポインツ❣️①紙コップで出てくるコーヒー自販機がある②地下ゆえに電波の入りが渋く、私と本とを0距離にしてくれるところ💝
- ryoya@ryoya07072025年7月18日読み終わった最後の寄稿文が、本全体を貫くような、包み込むような文章だった。これがあるのと無いのでは全然違う。 この本は「名前」についての話だったと総括する。名前のつけられた人は(ここでは馬の話を例に出す)、その役割の中で生きることを強いられ、また役割によって他者から理解される。しかし、役割(名前)を取り払ったとりにむき出しの生がそこにある。それを見つめましょうという提案だと思う。 文中では「名付けること、評価することは人間の癖だ。業と言ってもいいかもしれない」とある。そして、宮沢賢治はそれを含めて「修羅」と言ったのではないかと。 無名であることは頼りない。けれど、無名であるとき、初めて人は自分の「全て」で生きれるのかもしれない。
- ryoya@ryoya07072025年7月17日094 西村佳哲さんのワークショップに参加したくなった。10年前くらい、高校生の時に「自分の仕事をつくる」を知り合いのNPOのおじさんがおすすめして、貸してくれた。面白そうな本だと思ったけど、読み始めるほどの興味が多分湧かなくて、読まないままに、高校を卒業するときに返してしまった。 どんな場所でも「判断」されてしまうこと。むしろ判断されたいと思っている。この人は優秀だ、面白い、仕事を頼みたい。でも同時に自分が相手を素晴らしい人だと感じたとき、見透かされてしまう気がして、判断されるのが怖くなる。そして距離を置いてしまう。そういうことがよくある。 自分が誰かの役に立つこと、誰かにとって大切な存在であること。そこでは自分が常に自分の価値を測っている。そして、往々にしてその価値は低く見積もっている気がする。 人が好きだけど、なかなか自分が好きになれない。人の前にいるときに、一時的に演じている自分自身は前向きで、明るくて、いいなと思うけど。それは本当に一面でしかなくて、実はもっと面白いんだよって、わかってほしいと思ってる。でも、誰になら分かってもらえるのか、自分以前に他者のことも信じられていないのかもしれない。 最寄駅前の居酒屋に1人で入ったとき、隣に座っていた夫婦と仲良くなった。旦那さんがおれの話を聞いて「君は本当に優しい」と言ってくれたとき、すごく嬉しかった。ただそれだけのことを、ずっと求めていたような気がする。 自分は父親に、優しいねって褒められたことはない。大体「甘い」と言われてきたし、褒められるとしたら「お父さんの子だから」と言われてきた。自分の努力や優しさを誉めてもらった記憶は、残念ながら一度もない。父親とは仲がいいし、信頼している。感謝することの方がはるかに多いけれど、もう少し違う関わり方もしてみたかったな、とは思う。
- ryoya@ryoya07072025年7月17日読んでる岩手県 紫波町のブックフェアで植本さんから直接買うことができた。寺尾紗穂さんの写真を撮っているからなんとなく名前は知ってた植本さん。お会いして、もっとこの人について知りたいと思った。植本さんは千歳烏山のcommon houseと言う本屋さんで写真展をやっている。今週末の読書会に向けて、読み進める。
- ryoya@ryoya07072025年7月17日読んでる091 自分を語ること・知ることってなんなのか。職業ややっていることで自分を表現することの足りなさを感じる。例えば「カメラマンです」と言って、自分が大切にしていることや、感じていることが何か伝わるだろうか。自分は色々自己紹介したときに「クリエイティブだね〜」「マルチタレントだね〜」と言われて、何にも伝わらないなって感じている。ものを作ることの前にあることや、別にものを作らなくてもいいんだって思いたいこととか。そういうものが普段の自己紹介では伝えられない。自己紹介は壁を作るためのものにさえ、なってしまうかもしれない。
- ryoya@ryoya07072025年7月17日読んでる141 「自分のために生きる」「自分自身で生きる」は、おれもずっと悩んでいることだと思う。彼女のため、親のため、クライアントのため、友人のため、それはもちろんその先にある自分のためだけど、何か他者を介在しない「自分のため」の生き方ができているのかにはまだ自信がない。とはいえ、自分に甘いところも多分にあるから、本を読もうとか、美味しいものを食べようとか、自分の欲求に素直なところはもちろんある。でもそれとはちょっと違う方向の「自分のために生きる」という選択をもっとしたいと思う。 4月、初めての一人旅でインドに行った。これは自分のための時間だった。間違い無いと思う。誰の期待も受けず、ただ2週間自分ために生きた。寂しくて、つまらない時間もあったけど、でも何か満たされていくような感覚もあった。それは自分のために見たい景色を見たり、一つ一つの選択をしたり、自分を大切にしたり、自分を信じて人との出会いと向き合ったり。勇気を出せたことに感動したり、その逆があったりしたからじゃないかな。旅人というのは出会いと別れをたくさん経験する。変化も経験する。なんだから、毎日生まれて、毎日死を目にしているような感覚になる。でも、それがこの世界の本当なんだなとも思う。生と死を思うことが、日々から失われているんだと。バラナシで止まったゲストハウスの屋上から見たガンジス川が本当に綺麗だった。時間の流れが、日本にいる時とは違った。 インドでカメラを持ち歩いて、出会う人や景色の写真を撮った。遠慮してばかりだった。火葬場を撮りたくて、でも撮っていいのか、なにかトラブルになるんじゃ無いか怖くて、ファインダーを覗かずに隠し撮りをした。そしたら一緒にいた、ゲストハウスで出会った友人が「撮りたいならちゃんと撮ったらいい。隠し撮りするんじゃなくて」と少し苛立ちながら伝えてくれた。 そこから、少しずつ目の前の現実と向き合えるようになった。堂々と生きていきたいと思った。撮りたいことは自分自身の気持ちなのだから。少なくとも、自分は否定しなくていいんだ。
- たちゃ@am00_00_002025年7月4日読み終わった本最近読んだ永井玲衣『さみしくてごめん』の中でも、「ただ在ること」について言及があり、ふとした連関を見出す。植本さんもずっと「さみしさ」について書き続けていたなと改めて思う。馬の写真がとてもいい
- common house@commonhouse1012025年7月2日新刊入荷イベントあります写真展開催@ common house コモンハウス一子さんが岩手の遠野という地へ導かれるようにして出かけていき、そこで馬や大切な人たちに出会い、そしてこうして通うようになったことは、きっと必然だったのだろう。 不安で、傷ついて、怯えて泣いている。そんな小さな子が荷物を背負い、はじめて一人で旅に出る。行きたいと思った北の方向へ、自分の意思と足で出かけていく。その先で、心がほぐれていく景色や仲間に出会う。最初は怯えて小さくなっていたその子も、いろんなものを受け取るうちに、やがてのびのびとただそこに存在することができるようになっていく。それまで知らなかった、そのままの自分に出会い直す。今は少し距離があるけれど、本当は大切で好きな場所のことも思い出す。そういう贈り物を自分の手で掴むことができたのは、一子さんが特別だったからというよりも諦めない人だったからではないか。人はきっと、変わりたいと思ったらいつからでも変わることができる。 一子さんがこれまで懸命に生きてきた日々を、本を通して追ってきたからだろうか。一読者としても、一子さんが大切な場所に出会えたことは自分のことのように嬉しくなる。 ---------- 『ここは安心安全な場所』に店主Sが寄せた感想コメントの一部です。植本さんの通販サイト、石田商店にも掲載いただいています。7月11日からは写真展もスタート。新刊も写真も本当にとてもよかった。私自身も、自分に潜る3週間になりそうです。ご来場お待ちしています! (店主S) <植本一子 写真展 ここは安心安全な場所> 2025年7月11日(金)〜7月30日(水) 会場:common house 世田谷区給田5-2-6-101 (京王線千歳烏山、仙川駅からバスが便利です) 営業時間:11時-20時 定休日:木曜 (7/12 16時閉店、7/19 14時オープン、7/23,25 臨時休業)
- m@kyri2025年6月30日読み終わった@ 自宅そうだった、一子さんは写真家だった……という今更な実感 静謐できんと冷えた空気のなかに佇む馬たちの穏やかな眼差しをおさめた写真たち 自分を構成するラベルなにもかもを取り払って「無名」で人や馬と出会うことはたしかに得難い体験かもしれないけど、でもその自分を構成するラベルだって自分そのものであるとも思うので、一概にそれは全て取り払われるべきともあんまり思えない レッテルを貼ると言うと聞こえは悪い、ラベルとともに生きることだって肯定されたらいいと思う とはいえ一子さんの経験がかけがえのないことであることもわかる 馬いいな〜動物園でしか見たことない とくさんの寄稿がよかった
- 海老名絢@ebina_aya2025年6月22日読み終わった表紙の馬の写真が印象的で、往復書簡の『さびしさについて』がよかったので購入。 自らと向き合い、馬との関わりから学び、変容する自身を綴っている。読みやすくて静か。