sasai "断片的なものの社会学" 2025年7月17日

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@sasai_74
2025年7月17日
断片的なものの社会学
直接的な内容の感想ではないし書いてるうちによくわからなくなってきてしまって支離滅裂だけど残しておこう…… 人混みを歩いているときにふと、この視界に溢れる人々のひとりひとりにそれまで生きた年月があることや、今この瞬間にどこかへ向かう意識があること、その内側に無数の思考があることに、途方に暮れることがある。 誰かと知り合ったり著名人などの存在を初めて認識した後には、今頃もう寝ているかも、或いは夜更かしして作業しているのかも、などと想像を巡らせることが、突然可能になっていることに困惑する。 そうやって呆然とした心持ちで、知らない誰かがデザインし製作し販売した衣服や靴を身につけて、知らない誰かが整備した道を歩いている。 誰が考えたどんな仕組みかさっぱりわからないけれど、なんとか操作だけはできるスマホでこの文章を打ち込んでいる。 到底自分の想像の範疇に収まることはない(収めようとするなんて傲慢である)膨大な数の人生があり、その大部分というか殆どすべてを知ることがないということに、ただただ圧倒されてしまう。そこに悔しさや悲しさはないけれど、自分の場合はその途轍もなさに嫌気が差して、いっそすべて手放してしまいたくなる。 でもこの本を読んで、無理に理解しようとしたり当然曲解するでもなく、そこに自分ではない人間がいてその人なりの人生がただあるということに寄り添うような姿勢をとることができる、という視点を得た。一度読んだきりではその見つめ方をまだ体得できておらず、そういう見方もできるんだな〜みたいなきょとんとした感想しか残っていないのだが、もう何度か読み込んで社会に対する向き合い方をもっと心地よいものにしていきたいと思った。 それはさておき、植木鉢を分けてあげられないのは、その面倒を見てくれるという信頼が持てていないからなんだろうか。
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