
読書猫
@bookcat
2025年7月18日

真鶴
川上弘美
読み終わった
(本文抜粋)
“歩いていると、ついてくるものがあった。
まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。”
“しばらく目をこらしているうちに、おりてゆく人ふたりが底についた。両手をまうえにさしのばし、のびをしているのだろうか。指ほどの大きさにしかみえないのだから、気持ちがよさそうなのかそうでないのか、わからないはずなのに、爽快な絵である。風が雲を飛ばして、天頂には青い色ばかりがある。真鶴、と口にしてみてしばらく、崖下を見やり、ほんの少し欲情した。
かたちあるものに欲情することは、少ない。少なくなった。
よろこびにつながることもあるし、えぐられるような寂しさにゆきつくことも、そしてどんなところにもゆかず、ただそこにぽかりと浮かぶばかりのこともある。どちらにしてもそれを欲情と名づけただけのことである。”
“植物園の奥は森になっている。日差しを避けて、人がひっそりと歩く。緑のまま落ちた大きな葉を、百が拾う。葉脈が、こまかく縦横にはしっている。
「くわしいね、これ」百が言う。
「くわしい? こまかい、じゃなく?」母が笑いながら訊ねる。
「うん、すごく、くわしい」百はじっと葉の表面をみつめている。”