
konsai
@ehikh6
2025年7月19日

たのしい保育園
滝口悠生
読み終わった
借りてきた
カルガモに言葉は通じないけれど、言葉が通じないから話せることがある。
ひとりで散歩しているだけなら、そんなに植物のことは気にならない。歩いているうちに考えごとをし始めて、植物が目に入ったとしてもこの花の名前はなんだろう、とまではなかなか思わない。でもももちゃんと一緒に歩いていると、ももちゃんがまだ言葉を話さずとも、目の前にあるものを一緒に確かめ、知り直すみたいに、これはサクラだね、これはタンポポだね、と声に出してももちゃんのお父さんはももちゃんに伝えることになる。そうすると名前のわからない本や植物は名前を呼べないから、これはなんだろうね、と言いながらももちゃんのお父さんは、その名前を知りたいと思う。ひとりで歩いていてもそんなことは思わなかったかもしれないけれど、ももちゃんという言葉を向ける先があることでそう思う。