たのしい保育園

125件の記録
- 遠足のお弁当@ensoku2025年6月24日読み終わった読書日記ももちゃんのも、いっこお母さんにあげる。ふたつあるから。👈かわいすぎる。 世界はひとの暮らしで出来ている、みたいな、隣にいるひとや、すれちがったひとや、話で聞いたひとたちにも歴史があり生活がありみたいなことを書かせたら本当に天才だよなとおもう。滝口悠生の文章をよんでいると、人間ってこんなにいるんだ〜とおもう。普段人間を人間として認識していない化け物みたいな感想……。
- さとう@satoshio2025年6月17日読み終わった@ 自宅「取り返しのつかないこと、やり直しのできないことがあることを娘はきっとまだ知らない。」 「そこには希望しかない。というか絶望がない。すべてのことに終わりがない。」 「本気でそう考えているからこそ、こんなにも泣き止まず、求め続けることができる。」 私はいつ絶望を知ったのだろう。 今は『緑色』のエピソードがこころにきたけど、育児を経験したり、子どもの成長を見守る側に立ったりしたらまた受け取り方が変わるんだろうな。
- orange.m@orange102025年6月12日読み終わった@ 自宅ももちゃんのお父さんの視点を通して、娘の保育園時代のあれこれを思い出した。鼻がツンとするようなシーン、付箋をつけたくなる「そうそうこの感覚わかる」という箇所がたくさんあって。 幼い子どもと暮らすことは、大人の「当たり前」をいったん解体して向き合うことの連続だと思う。そのかけがえのなさ、うれしさもさみしさも不安もこの作品には詰まっていて、胸にギュッと抱きしめたくなる。
- 鳥澤光@hikari4132025年6月8日読み終わった再読再々読読む本読んだ本2025二巡。 収録されている「ロッテの高沢」はじめそれぞれの短篇での体の話が本当におもしろくて、というのはクニャクニャからだんだんと硬さと柔らかさが増えていくような甥たち姪たちの感触を思い出すのもあるけど、それ以上に、いま3匹の猫と暮らしていることで(そしてかつて2匹の猫と暮らしたことで)はじめてとるポーズ(前屈みになって自分の膝に肘をついて過ごすとか、胡座をかいて両膝をすこし立ち上げてハンモックにするとか)や「腕がせめてあと1本多ければ……」という毎日やってくる思いとかに置き場が見つかったように思えるからかもしれない。
- ズゴ子@zugocco2025年6月1日読み終わったわたしも、ももちゃんだった ももちゃんのころ、うまく伝えられないもどかしさを、まわりの大人たちが察してくれたり言語化してくれたんだよね、てなことを思い出したりあらためて知ったり ももちゃんのお父さんにはなれないけれど、ももちゃんのご近所のおばさんにはなりたいな
- なずな@shrpherds_purse2025年5月30日読み始めた幼少期の思い出は、なまぬるいふわふわに包まれている。いつまでも暮れない夕日のようなぼんやりした記憶。その中を覗き込んでいるような気持ちになるなあと思いながら、読んでいる。
- riu@riufish2025年5月29日読み終わった@ 本の読める店fuzkue初台わたしにはfuzkue本がある 読む前からこれはfuzkueで 読み始めて あっfuzkue本だ 大ファン滝口さんはいっつもfuzkue やわくやわく 読書の時間
- 鳥澤光@hikari4132025年5月13日読む本読んだ本2025あの人に贈りたい本信号が変わっても立ち止まって読んでいたい本。視点が受け渡されていく具合にワクワクするし海老反りしたくなる(なる?)。
- あつこ@atsuko_books2025年5月2日気になるわが子のたまらなくかわいいこの時期を「忙しい」と引き換えにしてしまったことを後悔するんじゃないか……と思って遠巻きに見ていたのだけれど、やっぱり気になるのでメモ。 記憶の奥底にある毎日を思い出すきっかけになるかもしれないよね。
- 3_analog@3_analog2025年5月2日読んでる冒頭10ページくらい読んで、あ〜これこれ、滝口さんだなぁ!と思った ちょうど良い温度のお風呂に浸かってるような安心感が滝口さんの文章にはある
- しの@shino32025年4月28日気になるいま、植本一子さんとの往復書簡『さびしさについて』の滝口悠生さんの育児についての話がおもしろすぎるあたりで積んでおり、この本も絶対おもしろい予感しかない(でも積読多すぎて手を出せない
- riu@riufish2025年4月28日買った読み始めた@ 本の読める店fuzkue初台Readsで発売日を知って まちわび まちさび 滝口悠生さん 普段行かない大きな書店 これもわたしのからだになる 愛しいももちゃん お父さんだって
- ON READING@onreading2025年4月26日読み終わったひと足先に読ませていただいたのですが、発売前からいろんな人に「めちゃくちゃいいんです!」「話したいから早く読んで!」と言いまくっていたこちら! 二歳のももちゃんとももちゃんのお父さんは日々、川べりや公園を歩く。過ぎていく時間と折々の記憶は、いつしか祈りへと昇華していく――。 父娘のなにげない日常を様々な角度から描き、いままで言語化されていなかった「育児」のディティールが驚くべき解像度で迫ってくる、まったく新しい「父」の連作短編集。 保育園までの道、鳥の名前、植物の名前、すれ違う人びと、保育園の先生たち、登園時の連絡帳、ふいちゃんとあみちゃん、お母さんへのプレゼント。「ももちゃんのお父さん」になって、世界と出会いなおすこと。 もう大人になってしまって、梅と桃の違いも、十秒前と一年前の違いも知ってしまった私たちは、ももちゃんのようには世界を知覚することができない。だけど、ももちゃんの視点を通して想像することはできるのかもしれない。 この小説は、ももちゃんを見ている「ももちゃんのお父さん」を通じて、私たち読者も追体験することができる。 世界は、なんて色鮮やかなんだろう。私たちは、それを本当に知っているのだろうか。 読んでいる間、ほんとうに幸せでした。今も、思い出すだけで心が震えます・・・。 植本一子さんとの往復書簡『さびしさについて』もあわせてどうぞ。おふたりの子育ての話がたくさん出てきます。 さらに言うと、この感覚は『世界をきちんとあじわうための本』(ホモ・サピエンスの道具研究会著/ELVIS PRESS)とも通じているな~、と思います。そうやって、あれもこれもといくつもの本につながっていく。これこそが世界。いろんな本の隣に置いて、ずっとずっと何度も読みたい一冊です。