
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年7月19日

とびこえる教室
星野俊樹
まだ読んでる
お風呂読書
第4章の途中まで読む(〜121頁)。
著者が初めて試みた「生と性の授業」の具体的な実践内容や生徒たちの変化だけでなく、それが成立するまでのプロセスが書かれているのが良いなと思った。特に、保護者への事前説明をどう行ない、どういう反応があったかが書いてあるのは、ディテールとして大切。
現実問題、教育実践は生徒と教師のいる教室だけに閉じていないはずで、だからこそサポーティブな同僚、上司、保護者、地域の人々がいることが追い風になるというか、その足場を支えているはずで。今後、性教育、特に「包括的性教育」への風当たりは強くなるかもしれないから、そうなったときに学校側が(教師たちが)挫けないために周囲の支えがかなり大事になってくるのではないか、と思う。
このあたりは「日本の性教育実践と実践者の歴史」を研究している堀川修平さんの著書も参照されたい(第4章の註には堀川さんの博論本があげられているが、『「日本に性教育はなかった」と言う前に』の終章「ブームとバッシングのあいだで考える」もあわせて読むとよさそう)。
以下は余談だけど、さらっとしか描かれていないこの部分。
〈ある日、私はある男性の同僚に「学校で教師として働くことが苦しいです」とメールで弱音を吐きました。すると、彼から次のような返事がありました。/「しんどいね。だからこそ、多様で異質な他者との付き合い方を子どもたちに体験的に教えていかねばならない。自分たちがとらわれている認識をひっくり返すような授業をしたいね」〉(97頁)
この男性の応答に勇気づけられた著者は、〈彼と一緒に学年を組み、ジェンダーやセクシュアリティに踏み込んだ性教育に取り組むことを決意〉する。
この男性についてこれ以上の情報は書かれていないからわからないけど、シズジェンダーの異性愛者だったと仮定すると、どうしてこの時このような応答をしたのですか?と個人的に聞いてみたくなった。というのは最近よく、(意地悪ではなく素朴な疑問として)当事者じゃないのに(「ノンケなのに」)どうしてクィアな本を作ってるの?と聞かれるから。そのたびにモニョモニョしてしまうから。
だからこそ、この男性のふるまいはとても気になるし、このような男性が増えることが大事だと思うから、話してみたいと思った。

