
ゆい奈
@tu1_book
2025年7月21日

さみしくてごめん
永井玲衣
読み終わった
なかなか希望を見出せずに肩を落としたままで読んでいたら、永井さんの言葉がそのまま胸のなかに飛び込んできた。
p88「戦争が始まってしまった。こんなことを日記に書きたくない。ただ生きているだけでありたい。ただ生きているだけであることを自分にゆるしたいし、社会にも、世界にもゆるされたい。いや、ゆるしなんて必要がないのだ。わたしたちは、ただ生きているだけでいい。それ以上でもそれ以下でもない。」
世界にはまだ奥行きがあると信じたい、信じられるようになりたい。信じられた先には絶望と希望があるという。“膝をつきたくなる絶望と、ここが行き止まりではない希望“。今のわたしにぴたりと寄り添う言葉だった。
時に、永井さんの言葉を読んでいると幼少期を思いだすことがある。傘を持っているのに雨に降られながらずぶ濡れになって帰ることが楽しかった日、湯船のなかから指先から順に手首までを出すと不自然におおきくみえて自分の手が自分のものじゃないようにかんじた日、友達と一つのおなじものをみたとき、私と彼女は、おなじものを見ているけれど、ほんとうにおなじようにみえているのか、不確かすぎて不安になった日。きっとあれは「哲学モメント」というものだったのだと、今になっておもう。人よりも時間を持て余していた自覚があり、ただぼんやりと過ごしながら、いろんなことを考えていた幼少期だった。
p171「もしあなたが、こんな変なことを考えているのは自分だけじゃないかなどと心配しているのだとしたら、安心してほしい。ひとはみんな変なことを考えている。また、もしあなたが、自分はなんて平凡なんだと自分で自分に(なぜか)落胆しているのだとしたら、それも安心してほしい。凡庸な考えをもっている日となどはおらず、誰もがとりかえのきかない、なさけなくて、おかしくて、やさしい考えをもっている。」
永井さんの作品を読むたびに、すべてに蓋をしてしまったあの頃のわたしが救われる。










