さみしくてごめん

410件の記録
- きくぞ@kikunojo2025年10月1日買った読み終わった夜更かしの読みあかし、ペーパードライブで知った永井さんの本。声をほぼ毎週聞いているせいか、永井さんの声で文章が聞こえてきた。 永井さんはこう思うのか、永井さんはこう感じるのか、永井さんの文章は誰に向かっているのか?私かる彼女自身か?ペールトーンの世界にいるような、広い景色が広がっているような、一緒に散歩をしているような、不思議な読後感。 行きそびれた永井さんの哲学対話に、ものすごく後悔している。
- nica@nica2025年9月30日読み終わった書店で買った本寝る前に布団の中に入って 毎日数ページずつ読み進めた 読まないで寝る日もあったので 本を開いて今日読了するまでに2ヶ月くらいかかったけど 読んでよかった 哲学とか難しいと思っていたけど 《考える》と言う行為。 難しく考えすぎないで 私も 哲学して見たいと思った とてもすーーっと入りやすく読みやすい本だった
- 揺らぎ@__akairingo2025年9月26日読み終わった感想はたくさんあるけどまとまってないので後日 哲学に触れている人の本を読むと、私も考えていていいんだなと思える 普段生活しているとみんな疑問を持たずに上手に社会に順応して生きているように見えるから 安心する
- 装丁フェチ@yr_k_2025年9月15日読み終わった途中わかんなすぎて挫折しかけた 後半はふせんいっぱい 「パンクとかロック精神とかじゃなくて、なんというか、破壊って所有なんだよなあ。」p137 日記風→がっつり哲学→エッセイって感じで色んな構成があっておもしろかった。永井さんは人とか体験とかが好きなんだなあと思った。好きっていうか、ある言動から色々想像を巡らせるのは同じなのに、そのベクトルがわたしと全然違って新鮮だった。こう考えてみたい。 考えるということは、ひとりでやらなくてもいいらしい。カフェに行って友達でも知らない人とでも、他者を通して(盗み聞き可)、考えるということを近くに引き寄せないと遠いままなんだって。
- 読書猫@bookcat2025年9月14日読み終わった(本文抜粋) “わたしは選ばれないままに、未知に出会いたい。特別な誰かではない仕方で、未知に触れたい。カフェでうろうろと座りたい席を探すように、未知に近づきたい。この世界をよく見たい。幅広さではなく、奥行きを研究したい。そうなると自然に、「散歩」という手立てが浮かび上がってくる。” (「念入りな散歩」より) “何かをよく見ること。そのために距離をとること。その際に、免れ得ない問いがある。それは、どこから見るのか、という問いである。見つめるそのわたし、それはどこかで見ているのか。誰として、それを見るのか。“ (「見られずに見る」より) “やさしくすることは、体力を使う。やさしいとは、いたわる、思いやる、愛する、心を届ける、心配する、そのすべてを煮込んでそれぞれの境目がなくなったような態度である。そこには迷いがある。逡巡がある。躊躇がある。わかりにくさがある。時に発揮されず、隠されることもある。誰にも気づかれずに、どこかへしまい込まれ、そのまま忘却されることもある。” (「きみの足を洗ってあげる」より) “ただ存在するだけの運動をしようと思った。これは、生産性だけでものごとが測られてしまうことに抵抗するささやかな社会運動のつもりでもあるし、ただ存在することを自分にゆるすためのトレーニングでもある。” (「ただ存在するだけ運動」より) “ことばが馬鹿にされ、ことばが無視され、ことばが届かないと思わされているこの世界で、それでもことばを書く理由は何だろう。” (あとがきより)
- はな@hana-hitsuji052025年9月13日読み終わった図書館本図書館で借りた読書会で仲良くなった人と本の貸し借りでお茶をしてこの本の話になった。 何が正しいのか、この言葉についてこういう印象がある、という起点からさらに1つ遡って、そもそも正しさとは何か、なぜその言葉にその印象を持つに至ったのかとか、どんどん遡って考えていくことが面白い。 そしてそのことについて「こんなこと考えてるとか言ったらどう思われるんだろう?」と心配せずに話せる人がいるのも楽しい。 「あなたの、ただ考えてしまったことを、ぜひ押し込めないで、教えてください」 「まだまだ自分たちを表現する時間は残っています」という言葉を何度も反芻する。
- はな@hana-hitsuji052025年9月12日まだ読んでる図書館本図書館で借りた先週は初めてコロナに感染して色々あって人生で初めて1週間仕事を休んだ。 薬が効いている時と回復期はパラダイスで、眠りたい時に眠って本を読んで読んで、その静かな時間で何かとてつもなくこびりついたものを治癒している気持ちになった。 いつもなら数日分まとめて書いていた日記を毎日忘れずに書けた。 だからこの本の前半部分が特に読んでいて楽しかった。 中盤からショートエッセイが続き、ああ〜全部日記でも良かったのに〜なんて思ったけれど、第4章から特に目が離せなくなってきている。 「怒り」について、私もこの感情には「期待」が絡んでいるような気がする。 でも突き詰めると憤りの成分が濃い。 憤りって、知りたい気持ちともつながっている。解明したいのに出来ない苦しみというか。 「枕辺の足」でハンセン病の人に思いを馳せたあと、スキップして次の次の章で「幸せとは何か」にリンクしていく。 火曜日に飼っていた犬が死んで、死と幸せについてちょうどどっしりと考え続けていた。 1週間前の私のところにワープして「犬が死ぬまでカウントダウンが始まってるんだよ、気づけよ」と言いたい。 「やさしさと親切」の違いについて、人の示してくるやさしさが時々気持ち悪いなと思うことがある。 大抵やさしさを振り撒くことが習慣になっていて、それは他者へ差し出されたものというよりも、周囲からいつのまにか求められている男性像女性像としての見本みたいなやさしさを提供することで反射的にそうする自分を承認してほしいような願望が奥に透けて見えてしまう時。 褒められたりいい人とか素敵とか思われたりしようとしなくていいから、誰も見てない時の自分みたいでいていいからと相手を通して自分にも思っている。 この本を読むと、頭に浮かんでくる様々な「ある事」について問い続けても良いのだなと感じられたのが収穫だった。 心の距離がそんなに近くない人に「考えすぎ」と言われると腹が立つし、警戒してしまう。 自分が考えていることをどこまで誰に話せるだろうかとまた考えてしまう。 考え続けないことなんて出来るものなのかな。
- さみ@futatabi2025年9月11日読み始めたやっと買った。買うはずだったのですぐに買わなかったけど、やっぱり今がベストというタイミングで読むことができた気がする、永井玲衣さんの文章を読めたときはいつもそんな気持ち。 日記が、日付がなくて曜日だけなのが良かった。30日や365日は私には長すぎる、早く終わってほしくなるけど、7つの曜日を繰り返すのだったらもうすこしほどけておだやかでいられるかもしれない(書きながら思ったけどただ数字が苦手だからかもしれない、真の理解をしていないから)。 実際書き始めるかはあまりだいじでなく、私も何か書きとめたいなと思わされる文章に出会えたとき、ほんとうにうれしい。
- あやね@aynm3122025年9月8日読み終わったこの本を読んでいると言った時、知人が言った「永井さんが書く言葉は詩だよね」という言葉がずっと頭から離れない。 読んでいると心が静かになって深く息ができるようになる感覚があったのは、詩的だからなのかな〜と思ったり。
- はな@hana-hitsuji052025年9月7日読み始めた図書館本図書館で借りた誰かの日記や手紙が書籍化されたものを読むことに抵抗感がある。 特に死後に見つかったそれらが本になっていると、本人は果たして承諾するのだろうか?と心配になる。 私だったら死んだ後に日記や恋文が発見されてそれを色んな人が読むのは絶対に嫌だな。 知らない人に読ませるために書いたものじゃないから。 昔、アンネの日記を読んだ時にも、読んでも大丈夫アンネ?とそれを危惧した覚えがある。 でもこの著者は生きている上にこの本の売り上げを寄付するとのことだったので、本当は買って読むつもりだったが図書館で目があってしまい思わず手に取る。 少し悩みのあった遠方の友人のことを思い出した。先に読んで、買ったものを彼女に贈ってみようかな。 誰かの日々を感じたら何かが穏やかになれるかな。
- yt@yt2025年9月7日読み終わったいつまでも聴いていたい波の音のような文章。 店員が私語している喫茶店もいい。 「わたしたちは、ただ生きているだけでいい」(p89) わかっていることだけど何度でも言ってほしい。 「魔法なんかよりも、よっぽど不思議ではないか」(p94) 森博嗣のような世界の見方と。 「スノードームがわたしにおそろしく感じられるのは、不安をかきたてられるからだ。あの小さなガラスの中に、世界が閉じ込められていることがおそろしい」(p121) 藤原麻里菜のような不器用さが同居している、こんな人はあの人しかいない。 穂村弘だ。 「渋谷の方が、もっとずっとさみしそうだからだ」(p104) さみしそうな渋谷ではツモリチサト展がやっていた。
- なみだめ@nmdm2025年9月6日「きみの足を洗ってあげる」が印象的だった。やさしいことを肯定しているが、やさしすぎることは怖いとも書いてあった。私は他者から「やさしいから」って言われたことが何度かあって、「やさしいね」は素直に受け取れそうなんだけど「から」って最後につくと、やさしいから○○な目にあうみたいに後ろによくないことを言われる印象があってあんまり好きな言葉じゃなかった。でも著者のやさしいの肯定はとてもいいもんだなと思えた。自分はのやさしいはどのあたりだろうと胸に手を当てたくなった。
- 橋本亮二@hashi_shi2025年9月5日読み始めた開くと自分の名前と「さみしい?」、ひらがなで水面のように記された著者の名前と日付がある。twililightでサインしてもらったのを思いだす。エッセイかと思っていたら前半は完全なる日記だ。永井さんの日記めちゃくちゃいい。ずっと読んでいたい。
- なかやま@asheepinthewell2025年9月4日読み終わった借りてきたなぜか日付でなく曜日表示の日記?が穏やかな岸本佐知子という感じでおもしろい。その後は、こちらの体調というか頭の具合のせいで、思索の文章(もともと得意ではない)はなかなか入ってこない。残念ながら。それでも時々また穏やかな岸本さん的な言葉が出てくるので油断なりません。
- ふじこ@245pro2025年8月21日読み終わった哲学者である永井玲衣さんのエッセイ集。すごくすごくすごくよかった。彼女が日々感じていることがスッと身体に染み込むように入ってくる。クスッと笑えたり、哲学対話を通して子どもの発言にはっとさせられたり。あるとき急に哲学に引き込まれてしまうことを、永井さんの言葉で「哲学モメント」というらしい。私にもたまに哲学モメントが起きる。急に宇宙に放り出されてひとりぼっちのような気がしていたけど、本書を通してたくさんの星が瞬いていることを知った。この本に共鳴してくれる人がいる限り、私はひとりじゃない。
- 宵菓@yoruno_okashi2025年8月20日読み終わった仕事帰りの電車で読み終えた。 長々と気づかないうちに封印していた、自分のなかの「なぜ」の蓋を、永井さんの言葉は開けてしまうんだなと気づいた。それは直接その文章にかかわることでも、そうでないことでも。 日常を回すために気づいたら押しのけ、しまい込んでいる私の中のあらゆる「なぜ」が、浮かび上がってきてしまう。自明だと思っていたものの輪郭がぼやけて、世界の形がぐにゃん、と歪んで揺らぐ。そうして問いを思い出す。自分の中に問いがあったことを思い出す。
- Pさん@ahaha___8882025年8月8日読み終わったとても深くて、考えさせられる本!理解度を深めたくて、時間をかけてゆっくり読みました。前半の日記部分が好き。小さなことでも忘れたくない出来事をまとめてみようと思った。あと、変なこと考えてもいいし、正解よりも誰かと何で?と問い続ける事をしたいと思った。
- ミッコネン@mikkonen2025年8月6日読み終わった日常の些細なことに気づき、考えを巡らせることが個人を遠くへ連れて行くのだと思う。 他者が行うある事象の捉え方、言葉の紡ぎ方に面白さを感じたい。ぼんやりしていたら気がつかないようなそれらを捕らえられるように暮らしていきたいと思った。
- ゆい奈@tu1_book2025年7月21日読み終わったなかなか希望を見出せずに肩を落としたままで読んでいたら、永井さんの言葉がそのまま胸のなかに飛び込んできた。 p88「戦争が始まってしまった。こんなことを日記に書きたくない。ただ生きているだけでありたい。ただ生きているだけであることを自分にゆるしたいし、社会にも、世界にもゆるされたい。いや、ゆるしなんて必要がないのだ。わたしたちは、ただ生きているだけでいい。それ以上でもそれ以下でもない。」 世界にはまだ奥行きがあると信じたい、信じられるようになりたい。信じられた先には絶望と希望があるという。“膝をつきたくなる絶望と、ここが行き止まりではない希望“。今のわたしにぴたりと寄り添う言葉だった。 時に、永井さんの言葉を読んでいると幼少期を思いだすことがある。傘を持っているのに雨に降られながらずぶ濡れになって帰ることが楽しかった日、湯船のなかから指先から順に手首までを出すと不自然におおきくみえて自分の手が自分のものじゃないようにかんじた日、友達と一つのおなじものをみたとき、私と彼女は、おなじものを見ているけれど、ほんとうにおなじようにみえているのか、不確かすぎて不安になった日。きっとあれは「哲学モメント」というものだったのだと、今になっておもう。人よりも時間を持て余していた自覚があり、ただぼんやりと過ごしながら、いろんなことを考えていた幼少期だった。 p171「もしあなたが、こんな変なことを考えているのは自分だけじゃないかなどと心配しているのだとしたら、安心してほしい。ひとはみんな変なことを考えている。また、もしあなたが、自分はなんて平凡なんだと自分で自分に(なぜか)落胆しているのだとしたら、それも安心してほしい。凡庸な考えをもっている日となどはおらず、誰もがとりかえのきかない、なさけなくて、おかしくて、やさしい考えをもっている。」 永井さんの作品を読むたびに、すべてに蓋をしてしまったあの頃のわたしが救われる。
- momo@momo52025年7月6日読み終わった「問い」を考えるとき、誰かと一緒でも良いのだと思えた。 仕事もプライベートも考えなくてはならないことが多すぎるけれど、誰かと一緒に考えて良いんだ。その誰かは、本でも他者になるんだ。
- はな@hana-hitsuji052025年7月4日気になる@ blackbird books『核兵器をなくす日本キャンペーン』というものに印税を全額寄付している本、というレビューを見て気になるスイッチが入った。 作者は『ガザとは何か』の岡真里さんと対談していた方かな?と今更気づく。
- momo@momo52025年7月2日読んでるp116 何かを語ることは、崖をひとりで歩くような孤独な営みである。心細くてたまらない。わからないことばかりだ。ああ、嫌だなと思う。語られてしまうことの気持ちよさにも、たまに顔をほころばせて、そしてそれがまた嫌になる。 p117 見ることは固定することだが、聴くことは変容させられてしまうことだ。 p118 わからないと言いつつも、わたしたちは何かを選ぶ。どのように語るのか、どのように見るのか、何を聴き取るのかを選んでいる。それは、かぼそく、不安で、心細い自由である。だが、わたしたちにゆるされた、うつくしく確かな自由そのものなのだ。 何かを語りたいと思いつつも、語ることへの抵抗感が拭えない理由が分かったような気がした。
- 結@yi_books2025年7月1日読み終わったわかるーと頷いたり、自分にない視点を面白がったり、哲学に突き放されたり、置き去りにされたりしながらなんとか読了。わかるようでわからないし、わからないようでわかる。仕事で疲れた夜に読み進めるにはちょっと難しかった。
- m@kyri2025年6月29日読み終わった@ 図書館『水中の哲学者たち』や『世界の適切な保存』に比べるとまとまりがなかったりとりとめがなかったりするように思われるけど、そのとりとめのなさをとりとめがないままに保存しようとしたことがこの本のやりたかったことなのかなと思った 同時に、本を読んで、こうして感想を書き残そうとしたときに、知らぬ間に「正解」の感想を書こうとがんばってしまうことがあるけれど、そうではなくて、もっと感じたままに、とりとめがないままに、なんでも思っていいのだよなということを考えていた わたしの感情は良いも悪いも正解も不正解もないところで、第一には、ただ「存在」している (とりとめがないままに書き残すのにも文章力は要りますが)
- つつつ@capyandtsubasa2025年6月27日読み終わったp93「未知に出会うためには、既知を突き詰める必要がある。既知の先にこそ未知がある。」 p229「普段わたしたちは「正解」することに躍起になっている。〔……〕そのためには、借り物の「正解」で構わない。えらいひとの考えや、みんなに承認されていそうな意見をたくさん取り入れる。とりあえずそれを繰り返しておけばいい。少なくとも間違うことは避けられる。だが、思わずこぼれてしまった問いに向かい合うとき、私たちは自分が丸腰であることに気がつく。考えたい、と思うより前に、問いに考えさせられてしまう。」
- m@kyri2025年6月27日読み始めた『友達じゃないかもしれない』読み終えてブクログに登録したら「この本を読んだ人は次にこの本を読んでます!」と言われたのがこの本だった 会社の昼休みは昼寝しないと一日まわらなかったんだけど最近ようやく眠くなくなってきて本を読んでも大丈夫になった🙆♀️うれしい 永井さんの日記おもしろい 書かないとすぐに忘れていくであろう小さな小さなできごとや会話の記録は読み返したときにきっときらめく 些細で小さな記憶こそ貴いこと
- ふるえ@furu_furu2025年6月27日読み終わった職場へ向かう電車の中で読み終わる。永井さんの文章を読むと、それぞれのエッセイのタイトルはもちろんだけど、主題以外の言葉の節々からも問いをもらっているような感覚になる。でもそれは一方的に問われているというよりかは、何かを思考する文章に一緒に引っ張られていくような、ちょっとこれどう思うみたいなそんな感じで気づいたらそのことについて考えている。何かを簡単に結論づけてしまわない、一度そこで閉じたとしても、いつでも開いているような態度が面白くて、そういう人と何かを考えることがとてもたのしいなと思いながら読んでいた。
- 親知らず抜いた@y_sa2025年6月27日読み終わったふふっと笑ったり、うぅぅんと考えたり、ほっと安心したり、読み終わると不思議な気持ちになった。 これから自分が揺らいだときなどに読み返したい そして、ずっと社会や世界について考えていきたい 印税を「核兵器をなくす日本キャンペーン」に全額寄付されているそうなので、気になっている方はぜひ好きな本屋さんで買ってほしいです
- はしな@ssaw_hsn2025年6月26日タイトルにどうしようもなくやられてしまった。優しいと親切は違うのところを何度も読んだ。私は優しくありたいけど優しい人と言われたくない。気づかれたくない。そう自分が思っていたことすらわかってなかった。どうすれば秘密で優しくあれるかが哲学未満かもしれないけど私の問い。
- おこめ@ocome_squash2025年6月25日読んでる『念入りな散歩』より わたしは選ばれないままに、未知に出会いたい。特別な誰かではない仕方で、未知に触れたい。カフェでうろうろと座りたい席を探すように、未知に近づきたい。
- 34、@WaterMe2025年6月25日読み終わった日記の視点のおもしろさにわはは!と笑い、エッセイで真顔、たまに涙しながら読み終えてしまった。あとがきにある切実な文章にじわじわと気持ちが込み上げ、たくさんの「よくきくこと」ということばを思う。永井さんの本に出会った本屋Titleで買えてうれしい。
- ふるえ@furu_furu2025年6月25日読んでる散歩について書かれた話を読みながら、同じようにそれを考える。仕事へ行く道を散歩の時に辿った時に違う風景のように見えるように、余白が多い、目的が特にない中で行為することは、未知を探す遊びを無意識にしてしまっているのかもしれない。見慣れた建物のてっぺんにある避雷針に気づいた時、フェンスの下の方にカラフルなヘアゴムが結びついているのを見た時、すっかり緑に染まった街路樹の土に青い花が咲いているのを視界の端にとらえた時。それぞれの瞬間が奥行きを持って、今までの認識を広げていくような感覚になる。普段通っているあの道のことを、仕事に行くための道としてだけではないと捉えられるようでたのしい。
- りんご食べたい@k-masahiro92025年6月24日読み終わった「わたしはいつまでも驚いていたい」 新鮮な気持ちFresh perspectiveでいたいという自分の思いを言い換えるとこうなるんだな。この一文だけでこの本がとても好き。
- ふるえ@furu_furu2025年6月22日買った読んでる冒頭読んでいたら日記が続いていて驚く。日々の記録に大きなつながりはないように思えるけれど、それぞれの日に起こる出来事を読むのが楽しい。僕が同じ体験をしても、同じように書くことはできなくて、それがいろんな人の日記を読む面白さだと改めて思う。あっという間に読み終わってしまいそうなので、ちびちび読みたい。
- 🌾@kanaho_32025年6月21日読み終わったまた、今日もメールが届く。 知っている世界からのメールと、知らない世界からのメールが。例の弁護士事務所から、また何かが届いている。 ひらくと、メールはこのように始まっていた。 「もう、3億5000万円は振り込んでいます。」
- ハム@unia2025年6月18日読み終わった彼女の作品を読むのは三作目。 改めて思うのは、島本理生さんの作品との親和性があるということ。 永井玲衣さんは哲学をツールとして使うというのではなく、哲学に考えさせられているという態度を取っている。 ここにはなんでもすぐに役に立つか否かの実用主義的な考えに待ったをかける態度があって、成果や答えがあることよりも常に自分を揺さぶってくる感覚を大事にしている様子が本作でも多く伝わってきた。ここは島本理生さんの小説で描かれるものと重なる気がして、だからこそ両者ともにすごく好きなんだなと感じた。 茨木のり子さんの「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」という詩を引用した先生に対して、原典を知らない生徒のひとりが「ばかものよとかうざいんだけど」という反応をしたエピソードに対して永井玲衣さんは、「伝わらないって悲劇なんだけど面白い」と。 こういう身近なところからポップに問いを深めていく一方で、 「世界にはまだ奥行きがあるということを信じられたとき、絶望と希望が生まれる。圧倒されるような果てしなさに膝をつきたくなる絶望と、ここが行き止まりではない希望だ」というように、鋭い感性も発揮されていて、まさにそれこそ奥行きを体現しているようで引き込まれました。 会ったこともない國分功一郎さんもiPadを叩き割るだろうのくだり、シュールすぎて笑えた。 哲学って自由でおもしろいと思わせてくれる。
- おおはま@koki_02172025年6月18日読み終わったあなたとわたしは別の個体です。 その線引きから逃れることはできないけれど それでもなお歩み寄ろうとすること。 分かり合えないことがさみしいのではなく 一緒になれないのがさみしいような気がした。 永井さんの文章がわかる。 そしてわからない。 その重なりのわずかに(いや大きく)ズレる部分に 途方もないさみしさと共感を抱く。 希望と絶望ではなく、少しの希望と果てしない底と言えばいいのか。とにかくさみしい。わー、って感じ