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ゆい奈
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@tu1_book
だいたい眠い
  • 2025年5月25日
    さみしい夜のページをめくれ
    『さみしい夜にはペンを持て』がだいすきだったので、第二弾『さみしい夜のページをめくれ』が発売されると聞いたとき、大喜びしたのだけど、すこし読んでタコジローにひさしぶりに会えたことに胸がいっぱい。太宰や又吉の本の引用があったりと、私の好きな本もたくさんでてきて、はっぴーすぎる……こんなに幸せな読書あっていいの………… 今作もめちゃくちゃいい。これ本好きの人たちみんなトキメキで卒倒するのでは………
  • 2025年5月24日
    リヴァイアサン
    リヴァイアサン
    今週読もう〜とおもってたのに、もう週末。なんてこった。読書は思い通りに進まない。想像していなかったものを読まされていく。事実、わたしは今、児童書に興味関心をもっていかれています。どんどん派生していきます。移ろいゆく思考を楽しみます。よろしくお願いします。ひとまず寝る前にちょこっと読んでみる。
  • 2025年5月24日
    文にあたる
    文にあたる
    校正者というのは言葉のプロであると思っていた。思っていたし、この本を読みおわっても、やはりプロだと思っている。すこしかわったのは、言葉の、というより、あらゆることへ疑いをむけ、そして疑わしきものを徹底的に調べ上げるプロ。すっげ〜〜ヒョエ〜〜となったのは「集中して仕事ができているときには自分でも、辞書を手に取って当たりをつけ、親指の腹に力を込めて開くと、目的のページを開くことができます」というところ。人間にそんなことができるのか…カミワザ…となりました。すごい。かっこいい。牟田さんの誠実さが存分に伝わってくる、いい本だった。 p101「本はかならずしも意図したように読めれるとは限らない。誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊である。その価値を否定することは誰にもできない。著者自身さえも。」 意図せず出会えたエピソードでほほ〜うとなったのは、ねじまき鳥の残酷な描写部分について、翻訳者から村上春樹へいくら話題を振ってもその話をしようとしなかったというところ。牟田さんの言葉を借りると、読者のわたしは目を瞑ることのできる贅沢な読書をしたわけだけど、そうだよな、著者はきっととんでもない状態だよな、と思い、作家すげぇ、翻訳者すげぇ、校正者すげぇだった。別の本に書かれていたと思うけど、たしか湊かなえさんはキーボードに鼻血をぼとぼと落としながらも、逃げるな、向き合え、逃げるな、と自分を鼓舞しながら辛い描写を書いているとかなんとか。すごいよなあ……
  • 2025年5月23日
    センス・オブ・ワンダー
    センス・オブ・ワンダー
    子どもの視点はおもしろい。散歩へ出かけると、子はしきりに指をさし、「これ、これ」とわたしがおなじものをみるまで言いつづける。なのでわたしもしゃがんでみる。ちいさなアリが一匹。どこにいくのだろうね。ほんの数歩すすみ、再びしゃがみ、指をさす。てんとう虫が一匹。しきりに「てんてんてんてん」という子。絵本で読んだものね。水の音が聞こえては側溝をのぞき、飛行機の音が聞こえれば何度だって空をみる。きょうは雲がかかっていて飛行機がみえないね。子がはじめて月をみつけた日のことを思い出す。あれがお月様だよと子にいいながら涙がでそうになった。こんな美しい日々を、愛おしい日々を、いつまでも覚えていたい。わたしたちは忘れてしまう生き物だけど、忘れたくないと思える日々の真ん中で生きている。 p69『地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレインーー夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさーーのなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。』
    センス・オブ・ワンダー
  • 2025年5月23日
    飛ぶ教室 81号(2025年 春)
    飛ぶ教室 81号(2025年 春)
    すべてにおいて良すぎる、、、の一言に尽きる。なにもかもがいい。絵日記も、俳句日記も、創作も、エッセイも、もう!!!ほんとうに!!!すべてよかった。 長谷川まりるさんの『希呼の実験』では、とある理由で夜に眠れなくなった女の子が主人公で、眠れるようにいろいろ試すけどなかなか眠れない。そんなときにネットでみつけたものが日記を書くことで、ルールは簡単。頭に浮かんだことをそのまま書くこと、そして誰にも見せないこと。希呼の日記を書く姿をみていると、素直に私も書きたくなってくる。大体からして頭のなかに残り続けるものはあの時ああすればよかったとか、あれはいうべきではなかったとか、そういうことで、そうだよ、書き出してしまえばいいんだよと思ったりしたので、私は今日から日記を書きます、自分のための日記を(育児日記は書いているので)。 他の二作品の創作もほんとうに良くて、児童文学、、、うわぁぁぁぁ良すぎる、、、キューーーーーーとなる感じ、たまらん……………となりました。続けて読もうかな…………どうしよ……… p37「日常の積み重ねの隙間に起こる非日常的な出来事に光があたることはあっても、非日常的な出来事それ自体が大切なわけではない。スペクタクルな光景が重要なのでなく、日常と地続きにある絶景こそ意味がある。こうしたことを胸にとどめながら、ぼくは日々写真を撮っている。(石川直樹『記録者としての自分』より)」
    飛ぶ教室 81号(2025年 春)
  • 2025年5月18日
    ブルックリン・フォリーズ
    ブルックリン・フォリーズ
    こんなにも愛おしい物語がこの世にあることこそが奇跡だとおもうなどと、口走りそうになるほどに心が満ちているのであまり語らないほうがいいかもしれない、と言いつつも、あまりにも胸がいっぱいなのでちょっと言わせてほしい。はあ〜〜〜〜〜〜もうほんとうにネイサン大好き。大大大大大好き。彼らがそこにいるような、あるいは私がブルックリンの街にいるような、すっかり作者の存在を忘れ、これが物語であることをうっかり忘れてしまう、そのような小説に出会えた喜びよ。まず間違いなく2025年ベスト本入りです。 ◾️p434「毎食後かならず歯を磨けよ。赤信号の道を渡るなよ。弱い者に味方しろよ。自分の権利を守れよ。自分がどれだけ美しいかを忘れるなよ。私がどれだけ君を愛してるかを忘れるなよ。毎日スコッチをオンザロックで一杯飲めよ。大きく息を吸えよ。目を開いていろよ。脂っこい食べ物は避けろよ。正しき者の眠りを眠れよ。私がどれだけ君を愛してるかを忘れるなよ。」 あの時、ああしなければ、これから起こる出来事の多くは起きずに終わり、そして言わずもがな、こんな奇跡さえ起こらなかったとしたならば、あの時、ああしたことはきっと良いことのはずで、だけど、今こうしていることをいつかの私は後悔しないかと問われると、そんなことはわからず、やはり人生というのはままならないものだなあとおもう。だけどやっぱり、あの時ああして、この時こうして、私はあなたと出会い、あなたは私と出会い、今が幸福であると、その奇跡をやっぱり信じていたいんだな、これが。 オースターっぽくない感じがする、というほど、オースターを読みこめていないので、オースターを読もうとおもいます。
    ブルックリン・フォリーズ
  • 2025年5月18日
    惑星語書店
    惑星語書店
  • 2025年5月17日
    私の孤独な日曜日
  • 2025年5月16日
    ブルックリン・フォリーズ
    ブルックリン・フォリーズ
    おもしろくって、ついつい、ページをめくる手がとまらなくて、気づけば50ページくらいするする〜っとすすんでいたりして結構びっくりする。そうね、だって、おもしろいんだもの。こんな楽しい読書時間なのに私の意思に反して睡魔に突如として襲われてしまい、Readsへ逃げ込む。近頃、子が5時起きなので夜になると眠さに負けてしまうんだよなあ……… ねむ P153「世界を変えるのは無理でも、せめて自分を変えようと試みることはできる。」
    ブルックリン・フォリーズ
  • 2025年5月13日
    文章読本改版
    文章読本改版
    いや〜面白かった。 特に西洋の文体と日本古典の文体を対比させて述べる箇所に興味を引かれた。古典の文章には、一語一語に月の暈のような蔭があって裏があり、言い換えれば、僅かな言葉が暗示となって読者の想像力が働き出し、足りないところを読者自らが補うようにさせる、そういうのが古典文の精神。西洋の文体というのは細部までの全てを正確に書かれるため、読者に想像をさせないのだそう。なるほど、とおもう。というより、いまさらだけど日本語というのは難しいのだな。「文字の表にある、なんともいっていないところに沈痛な味わいがある。多少なりとも哀傷的な言葉が使ってありましたら必ず浅はかなものになります」と書かれていて、ふたたび、なるほど、とおもう。文字の表にあるものを、わたしはひろえているのだろうか……と不安になるなど。 そしてなにもり、最後のほうで、現代人は、あらゆることを言い過ぎ、書き過ぎ、喋り過ぎとあって、ギョッとする。91年前に書かれた本ってほんとうですか… 谷崎さん… なるほど…
    文章読本改版
  • 2025年5月13日
    富士日記(上)
    富士日記(上)
    P151「火餅、百円(火祭りだから、火餅というだけ。なんとなく大福のようだと怪しんだが、帰ってきて食べてみると、やっぱり大福。)」 朝読書、数分しかできないのだけど、それだけでも満足感をえられる富士日記。この人も毎日生きていたんだなという感じがする。そういう実感がある。日記本のすきなところ。 保育園にいくまえに朝のもぎたていちごタイム。さくらんぼがおわったので、次はいちご。毎日赤くなっていくからせっせと食べている。甘酸っぱいね。きょうもぼちぼち過ごしましょう。お仕事はやく終わらないかな。
    富士日記(上)
  • 2025年5月11日
    赤髪の白雪姫 1
    赤髪の白雪姫 1
    昨夜、泣きながら、読了。 そのまま寝て幸せであった。 エピソードとして特に好きなのが“仮面騎士の夜会“で、途中登場するヒサメとキキの美しさにドキドキしつつ、エイセツさまの素直で優しいお人柄、リュウ〜〜頑張ったね〜〜(涙)とただただ泣き、ベルメット兄弟も好きなのでツルバ〜タリガ〜頼りになる〜〜〜〜〜これからもよろしく〜〜〜からのここぞというときのオビと白雪の安心感に号泣するという情緒。裏で助力してくれているゼン、ミツヒデ、キキの心強さったらないな、、、みえないけれど確かにある相手を思いやる気持ちと絆の強さに胸が熱くなる、、 あとやっぱりヒサメ推しとしては26巻を再読にもかかわらず5回は繰り返し読んでしまう。何度も読んでも頭をかかえるほどヒサメキキが良すぎる、、、おまけ的なあれでいいから、イザナ様とハキ様のおふたりの馴れ初めやおふたりでいるときのリラックスムードな雰囲気とかもみさせてほしいな、、、はあ、、、また新刊がでる頃に再読するか〜!しあわせな再読でした。赤髪の白雪姫、ほんと〜〜〜〜〜にいいな、、、だいすき!!!!!!!
    赤髪の白雪姫 1
  • 2025年5月10日
    文章読本改版
    文章読本改版
    甥っ子から、谷崎はすごい、ほんとうにすごい、だから読んで、とにかく読んで、と連絡がはいり、読む。 序盤から「言語は万能なものでないこと、その働きは不自由であり、ときには有害なものであることを忘れてはならないのであります」とあり、あ〜これは良さげです、ありがとう甥っ子よ、という気持ち。 P25「文章を似て現わす藝術は小説でありますが、しかし、藝術と云うものは生活を離れて存在するものではなく、或る意味では、何よりも生活と密接な関係があるのでありますから、小説に使う文章こそ最も実際に即したものでなければなりません。」
  • 2025年5月9日
    がっこうはじごく
    「わたしがいてもいなくても、世界はなんてことない顔で回っていくのだと思うとたまらない。」という言葉が綴られていて、奇しくも、この言葉のまえに「かなしいかな、」とつけた文章をわたしはきょう他人に話していて、なんて面倒な人間なのだろうとおもう反面、わたしは、わたしがここにいてほしい、と誰かにおもっていてほしいとおもうのだった。わたしは、わたしがここにいていいということを誰かに認めてほしいのだった。だけどそんなこと、誰もいってくれなくて、それでいて、なんと、わたしがいなくても世界はまわってしまうらしいのだ。一体どうして!はーあ!という気持ちになっていたのだけど、夜になって冷静になると、ただのめんどくさいやつだった。だけど堀さんはそういったことを包みかくさずに書いてくれるから、わたしはわたしで、あなたはあなた、それはとても尊いことなのだということを伝えてくれるから、それらを胸にしまって、安心して眠ることにする。 「いま、ここにひらかれている」という章がすきだった。いや、どれもすきなのだけど。
  • 2025年5月9日
    新潮 2025年 6月号
    いちばんに柿内さんを探し、見つけて、読んだ。読みたいな、読みたいな、と何度もおもう。 まずは以前寄稿されていた書評の『ダンス』から!とおもいつつも、竹中さんの創作が載っているので、この流れで先にこちらを読んでみようかしらんとおもったり。 堀さんを読みおわってしまうのもいいかもな。なんにせよ、きょうは寝落ちもせず、今から読書タイムです。コーヒーぐびぐび飲んで、読んじゃうぞ〜!うれしい〜!
    新潮 2025年 6月号
  • 2025年5月8日
    ダ・ヴィンチ 2025年 6月号
    しれ〜っと、ちょこ〜っと、載ってます。とても偉そうです。おもろい。子の寝かしつけとともに寝落ち+家事でてんやわいやでああああああああとなっている日が7割です。よろしくお願いします。(みつけてみてね〜!)座談会たのしかったな。まさかダ・ヴィンチにお呼びいただけるとは…………一生の思い出。
    ダ・ヴィンチ 2025年 6月号
  • 2025年5月6日
    瓶詰の地獄
    瓶詰の地獄
    『冗談に殺す』でくらってしまい、もう……しばらくは……夢野久作……やめておこう……となりました。甥っ子につげると、あ〜あれはな〜と笑っておったので、また彼が遊びにくるときに『少女地獄』を読もうかしらんとこりずにおもう叔母。甥っ子は『レ・ミゼラブル』を3日前から読みはじめたらしく、「3日も読みつづけてんのに200ページもいかんねん……」と嘆いていた。近頃、歌謡曲にハマっているらしい。きみはおもしろいねぇ。 P.115「ーーーホントウの悪魔とは、自分を悪魔と思っていない人間を指して言うのであるーーー自分では、夢にも気づかないまんまに、他人の幸福や生命をあらゆる残忍な方法で否定しながら、平気の平左で、白昼の大道を闊歩して行くものが、ホントウのあくまでなければならぬーーー。」(鉄鎚より)
    瓶詰の地獄
  • 2025年5月5日
    がっこうはじごく
    春になったら読もうとおもっていて、それで散歩に行くと、風がきもちよくて、読もうとおもってひらいた。 P.18「"ぼくらは 生まれて よかったよ ぼくらを産んでくれて ありがとう"と大声で、さまざまにちぐはぐな音程で、そう歌っていた。ーーーーあなたが生まれてよかったかどうか、わたさはたちに産んでくれて、感謝したいかどうかも、まだわかるはずがない。わかるはずがないあんなちいさなうちから、大人はそう、歌わせる。子供たちにむろん非はなく、そういう大人の所業によって、そのつまらない思想は、しっかりと子どもたちに内面化されてゆく。うちの子どももよくその歌を家で歌っている。ああ。だめとは言わないけれど、そんなこと言わなくていいんだよ。思わなくていいんだよ。だからその歌詞の意味に気づいたときにどうか思う存分反抗してほしい。」 『赤髪の白雪姫』の再読もたのしくて、わんわん泣いてる。わたしのいちばんの好きな人は、まだでてこない。彼、いつでてくるんだったっけ。もちろんオビもすきなのだけど。
    がっこうはじごく
  • 2025年5月4日
    瓶詰の地獄
    瓶詰の地獄
    甥っ子のおすすめ。『瓶詰の地獄』『人の顔』『死後の恋』まで読了。幻想的ではあるけど、リアリティもかなりあって、だからこそぐいぐい引き込まれていく感じ。瓶詰と死後の恋はかなり引きずる。人の顔はチエ子の特殊能力がインパクトあるけど、大人の醜さと愚かさが表現されてて恐ろしい。
  • 2025年5月4日
    高野聖
    高野聖
    明日甥っ子がくるので、叔母は張りきっちゃう。ひとまず甥っ子おすすめの『星あかり』を読みます。
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