ゆげの "コンビニ人間" 2025年7月22日

ゆげの
ゆげの
@hoochaa
2025年7月22日
コンビニ人間
コンビニ人間
村田沙耶香
変わってるこどもを描いた小説は多いけど、こういう感じの変わった大人を一人称で描いているのは珍しい気がする。 子どもとは異なり、自分が普通とはズレていることへの困惑を、乗り越えて、達観して、メタになってしまっている。自分が変であることを自覚しているけれど、普通にはなれないので、変を突き進むしかないことを了解して行動している。そういう、大人であるゆえの怖さがあった。 僕も、コンビニではないが接客業のアルバイトをしていたことがある。接客業なんて向いていないという自覚はあったので、ストレスになるし迷惑もかけるだろうからすぐ辞めよう、と思った。しかし、「自分の中にある店員のイメージを真似する」というを思いつき、やってみたら意外と有効で、結局は長く勤めることとなった。 自分自身が店員になるのではなく、むしろ自分自身は変えないままで店員のお芝居をする。そうすることで、普段の自分と店員の自分との間に一線を引ける。自我を殻に閉じ込めたまま店員になれるので、なんとびっくりあんまりストレスを感じないのである。 ちなみに僕は、新しいバイトが入ってくるたび、その初日に「店員になるというより、自分の中にある店員のイメージに合わせたお芝居をするといい」と教えていたのだが、人数的には2割くらいの確率でしかピンと来ていなそうだった。 対して、この主人公は店員の方に主の自我を置いている。 店員の自分のときは世界に承認されているが、店員から解放されると変な人という目で見られてしまう。そこで店員という役職に自分を見出した。 そういうのって、危ないよね〜(だって外側の世界に自分を見出していたらバランスが崩れたとき自分の制御が及ばないじゃん?)と思うけれど、じゃあ主人公はどうすれば良かったのかというと、それは分からない。他にやりようがなかったのかもしれず、後味が良いんだか悪いんだか、という感じなのである。 ただしいずれにせよ、社会とか普通とかの中で一部はみ出しながら生きている全員にとって、あーこれ分かるわー となる部分と、いやそれはさすがに… となる部分とが含まれているので、読後感としては、理解と怖さのミルフィーユ、みたいな味になった。
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