
ちょこれーと*
@5_ogd
2025年7月23日

嫉妬論
山本圭
読んでる
「陶片追放は刑罰ではなく、嫉妬心の慰撫・軽減である。嫉妬心というものは頭角を現わす者の頭を抑えつけることに快哉を叫び、そのむしゃくしゃをこのような公的剝奪という形に現わして発散させる」
(『プルタルコス英雄伝』 プルタルコス)
『嫉妬は正義や公正さに自らを偽装し、相手を「引き下げる」ことで自分を慰める。』
人を貶めることで自分を慰めるなんて、人間ってなんだか悲しい生き物だなと思った。平等を叫び、均したら均したでほんの少しの差異が嫉妬の誘因になり得る。もはや感情を排するしか嫉妬を無くすことはできないのではとすら思ってしまう…。
『「見込みのある人生」、つまり人生がうまくいっていると感じられるためには、その人が「どこかに向かっている」、前進しているという感覚(ハージはこれを「想像的な移動性」と呼んでいる)が不可欠であるという。』
どこかで聞いたような…と思ったら「移動と階級」にて引用されていた。
自分の人生を歩む的な言葉が自分には響きやすいのかもしれない。
『簡単に言えば、人生のコマを順調に前に進めている感覚と言ってもいいかもしれない。』