noko "小さき者たちの" 2025年7月23日

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2025年7月23日
小さき者たちの
小さき者たちの
松村圭一郎
小さき者たちは、決して弱き者の均質な集団ではない。ある者は、成り上がり、ある者は落ちぶれる。 壮健に生きる者もいれば、心を病む者も、身体に障害を持つ者もいる。傷つけ合い、たかり合い、足を引っ張り合いながらも、ときに肩を寄せ合い、意識し合いながら、隣人として生きてきた。 たぶん「寛容」ではない。「共生」とも違う。拒絶したくても、手を差し伸べる羽目になる。見たくなくても、出会ってしまう。そんな距離感のなかで、小さき者たちは隣り合って暮らしていた。 その「距離」には、現在の福祉社会が克服できたことも、そこから抜け落ちてしまったことも、ともにあるように思う。 「カナダ・インディアンの人々の現在の状況は、水俣の過去であり、現在である。彼等にもたらした不幸を未然に防ぎ得なかったことを、人間として人類として恥じ入る。」(川本輝夫の言葉) 亡き人たちの言葉になりえぬ思いが絡まり、もつれあい、いまこの時代へとつながっている。その歴史のなかにうずもれた声を、国家に翻弄されながらもそれを誇りにした生きざまを、知らないまま大人になったことが心から恥ずかしい。 ヨシが誇りを胸にその小さな背に負った「くに」は、いまいったいどこにあるのだろうか。
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