

noko
@nokonoko
- 2025年10月9日「街小説」読みくらべ都甲幸治気になる
- 2025年10月9日かぼちゃを塩で煮る牧野伊三夫気になる
- 2025年10月9日歩いて、食べる東京のおいしい名建築さんぽ甲斐みのり気になる
- 2025年10月8日
- 2025年10月7日
- 2025年10月7日
- 2025年10月3日キッチン吉本ばなな読み終わった買った心に残る一節「人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは、自分のどこなのかわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃったと思うの。あたしは、よかったわ。」 と彼女は言った。髪にかかる髪がさらさら揺れた。いやなことはくさるほどあり、道は目をそむけたいくらい険しい……と思う日のなんと多いことでしょう。愛すら、すべてを救ってはくれない。それでも黄昏の西日に包まれて、この人は細い手で草木に水をやっている。透明な水の流れに、虹の輪ができそうな輝く甘い光の中で。(「キッチン」) うまく口に出せないけれど、本当にわかったことがあったの。口にしたらすごく簡単よ。世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、いやなことがめぐってくる率は決して、変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくしたほうがいい、って。……それで女になって、今この通りよ。 人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言った方が近いのかもしれない。私も、そうだった。しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命論的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くり返す日々が自然と決めてしまうのだ。そして、人にはよってはこうやって、気づくとまるで当然のことのように見知らぬ土地の屋根の水たまりの中で真冬に、カツ丼とともに夜空を見上げて寝ころがらざるを得なくなる。 ーああ、月がとてもきれい。 私は立ち上がり、唯一の部屋の窓をノックした。(「満月ーキッチン2」) 等。 私はもうここにはいられない。刻々と足を進める。それは止めることのできない時間の流れだから、仕方ない。私は行きます。 ひとつのギャラバンが終わり、また次がはじまる。また会える人がいる。二度と会えない人もいる。いつの間にか去る人、すれ違うだけの人。私はあいさつを交わしながら、どんどん澄んでいくような気がします。流れる川を見つめながら、生きねばなりません。 あの幼い私の面影だけが、いつもあなたのそばにいることを、切に祈る。 手振ってくれて、ありがとう。何度も、何度も手を振ってくれたこと、ありがとう。(「ムーンライトシャドー」)
- 2025年10月1日
- 2025年9月30日にじんだ星をかぞえて上原隆気になる読みたい
- 2025年9月26日百年の手紙梯久美子読み終わった買った心に残る一節「先日証人として引ぱり出された時、ある判事さんが君に思っていることや持っているものを書き遺さして置きたかったと云われました。」「今の私には内部には多くの思想と貴い経験の集積が充ちているのです。しかし客観的にも主観的にもそれは絶対に許され難いことでしょう、永遠に私一個の内部のものとして地下へ持って去りましょう、それでいいのです。」「学問は人を幸福にはしないかもしれませんが、人としてどうしても必要です」(尾崎秀美) 「死すべきときのひとたび来らば、充分の案心と満足とをもつてこれに就きたいと思ふ。今やすなはちその時である。これ私の運命である」(幸徳秋水) 「吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。…君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかもしれないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。」(小泉信三)
- 2025年9月21日急に具合が悪くなる宮野真生子,磯野真穂読み終わった買った心に残る一節さまざまな条件、幾筋もの流れが、その瞬間に「出会い」、偶然に「いま」が産み落とされる。そんなプレーに遭遇するたび、私は現実ってこんなふうに成り立っているんだと驚いてしまいます。と同時に、そこに「美しさ」を感じます。その美しさは、現実が生まれる瞬間の美しさであると同時に、その瞬間を引き受ける選手の強さでもあります。彼らは最終的に現実は偶然に左右されるものだからといって、努力すること、準備することはやめません。…それはどうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです。そんな強さをもつ選手たちに私は憧れ、「いま」が産み落とされる瞬間に立ち合って時々泣きそうになります。 約束とは、そうした死の可能性や無責任さを含んだうえで、本来取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることであり、こうした無謀な冒険、賭けを目の前の相手に対して、「今」表明することに意味があるのだろうと。 あなたがいるからこそ、いつ死ぬかわからない私は、約束という賭けをおこない、そのわからない実現に向けて冒険をしてゆく。あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ「約束」の要点なのだろうと。だとしたら、信頼とは未来に向けてのものである以上に、今の目の前のあなたへの信であるといえそうです。だから和辻は、人間の真実は「人と人との間に」おいて「絶えず新しく起こるもの」と言ったのでしょう。 いま私は、「立ち上がり」「変わり」「動き」「始まる」と書きました。そう、世界はこんなふうに、いつでも新しい始まりに満ちている。一方的に流れるだけの時間のなかで点になって、リスクの計算をして、合理的に人生を計画し、他者との関係をフォーマット化しようとするとき、あるいは自分だけの物語に立てこもったり、他者に全てを委ねているときには気づけないかもしれないけれど、私たちが生きている世界って、本来こんな場所なんだ。そんな世界へ出て、他者と出会って動かされることのなかにこそ自分という存在が立ち上がること、この出会いを引き受けるところにこそ、自分がいる。 webs of significance
- 2025年9月21日高山ふとんシネマ高山なおみ読み終わった買った「ウルトラミラクルラブストーリー」 人は、死ぬと、ようやくいっしょになれる。 どれだけ誰かのことを好きになって、どれだけいっしゃにいたいと願っても、生きているうちは体が別々だから。 この世では人はいつだってひとりぼっちで、どこまでもひとりだから。 でも死ぬと、その人の記憶が体の中に入って、合体する。 何度だって思い出すことができるし、そのたんびに再生される。 「エイプリルの七面鳥」 カンペキな料理、カンペキな食卓っていったい何だろう? そんなもの、本当にあるんだろうかと映画を見ながら私は思う。 自分のデコボコを表に正直に出している人は、ウソをつかない。 カンペキなんて、指一本で崩れ落ちるくらい頼りないものだって、よく知っている。 ドキドキしながら料理して、思ったよりちっともうまくいかなくて。 それでも精いっぱいに整えたその食卓は、善意のカケラの寄せ集め。誰かを迎えるためだけにでき上がった、本物の食卓だ。
- 2025年9月20日出版という仕事三島邦弘気になる読みたい
- 2025年9月18日ココアどこ わたしはゴマだれスイセイ,高山なおみ読み終わった買った心に残る一節基本的なさびしさはみんなあると思う。哀しさも。それは人間が生まれたときから持っている一つの要素っていうか。誰でももともとさびしさがあるっていうのは、心にとめておいた方がいいと思う。だからごはんを作ってあげたくなる。 目に見える現実はね、襖がやぶれて、くらーい家の中に暮らしてる家族がいる。体が曲がった人と、その世話をしている家族が、毎日とてもたいへんめ、苦しい気持ちで暮らしている図としてしか見えないかもしれないけど、表面の目で見るとね。でも本当の目玉で見ると、すごく尊いものが見えてくる。人のね。たぶんそこだと思う。それを石牟礼さんはとっても上手に表している。歓びみたいなものが、あるはずなの。生きてる人にはすべて。たとえ薄暗い場所で、そういうふうに生きてても。そういう状況とは簡単に結びつかない何かがあるの。なんか、人のそういうところが見えるとき、ものすごく感動する。そういうことを、描きたいと思う。 今は、スイセイから離れて、違う場所に行こうとしているんだけど、それでもやっぱり毎日、不安になる時間がやってきて、ぐらぐらしたりもするんだ。でも、こんなもんだろうね、きっと。
- 2025年9月16日メメント・ヴィータ藤原新也読みたい
- 2025年9月16日母の待つ里浅田次郎読み終わった買った心に残る一節「はァ。古賀先生は立派なお医者様にてごあんすなす。先生はあらがだ偉そにすてるもんだがね」 母の口癖を思い出した。「良いドクターは偉そうに見えない」。つまり、根拠のないプライドを抱くほど医者は暇な仕事ではない、という意味だと思う。 だからこそ、母と言う人のその感想は、古賀夏生の胸に響いた。母に褒められたような気がしたのだった。 おらほもこのごろになって、お詣りするようになったんだわ。あの倅にもこの娘にも、ひもじい思いはさせたくねがらね。 おめえもな、ナツオ。 もうは、けっぱらねで良えがら、たんと飯さ食て、のへらほんと生きてけろ。 おめえはほんによぐやった。誰がほめてくれなぐても、母は力いっぺえほめてやる。そんで良べ、ナツオ。 どんどはれ。あんやァ、寝物語さ聞いで泣ぐばかこが、どこさおるでぁ。
- 2025年9月16日正しいパンツのたたみ方南野忠晴読み終わった買った長い間積読していたのを、処分する前に読もうと思って読んだ。 朝自分で起きること、お弁当を作ることがいかに自立につながるか。 家族や自立を考えるワークでも、生徒さんの全ての価値観を受け入れながら、「自分を楽しんで生きる」ためにどう考えたらいいかを深められる授業。 相談や苦情などは、その言葉が出てくるのはなぜかって考えるのが大切。
- 2025年9月13日天切り松 闇がたり 1 闇の花道浅田次郎気になる読みたい
- 2025年9月12日障害をしゃべろう! 下里見喜久夫借りてきた読み終わった心に残る一節一つにするような考え方は止めたほうがいい。… 一つになろう、絆ってキャンペーンがあるけど、本音と建前を許さない感じがあって苦手だな。人間ってそんな立派じゃないから、無理なことやると必ずひずみが出ちゃう。具体的にやりだしたら必ずもめちゃう。だから一つになろうと思わないほうがよっぽど楽にいっしょにやっていけるな、と思ってるんですよ。 なんでも、簡単にひとくくりにしない、それが基本。社会的な活動にしても、「理想」を描いてスローガンを掲げててそれを目指すと、手段を選ばなくなって嫌なんです、そういう安易なの。…自分の身の回りと向き合って、何がいい方法かを考えながらやっていったら結果的にこうなった、っていうのを見たほうがいいんじゃないかな。そこで大切にしなくちゃいけないのはフェアさだと思うんです。いままで「自由」を叫んでいたけれど、これからのキーワードは、「フェア」ですよ。(大友良英) 読んだ感想は哲学的で難しいと思うんですけど、ものすごく救われた感じがするんですよ。たとえば、『かむろば村へ』の終わりのフレーズがありますね。「必ずなんとかなる。思った通りではないけれども」。僕らは思った通りにならなないことが失敗やと思っているんですよね。不幸やと。でも、思った通りにならないのは当たり前で、むしろいままでの人生振り返って、いいことは思った通りにならなかったことが与えてくれたことが多いんです。「思った通り」に呪縛されているんですよ。まるでお金のように。(いがらしみきおへの里見喜久夫) いくら正しいことでも、上からガミガミと説教されると、若い者などは反発したくなりますよね。海部町では、「何々するべからず」と禁止する代わりに、そんなことをする奴は「野暮」だと、「野暮」と言われることは人として恥ずべきことだという考えを、浸透させているようなのです。 ーどこが野暮なんですか、と突っかかったら、「それが野暮なんや」とかわされて、いっぺん考えてみますわ、と素直にもう引き下がるしかなくなります。 説教してるんではないよ、押しつけでもないよ、ただ、そんなことしないほうが、お前もわしもええやろ、みたいな関係が前提にあって、結局は相手の選択にゆだねる感じがいいんでしょうね。(岡檀)
- 2025年9月12日荒野へジョン・クラカワー,佐宗鈴夫気になる
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