
Mi.
@coffee_no0511
2025年7月25日

ナースの卯月に視えるもの
秋谷りんこ
買った
読み終わった
@ 自宅
私は1年くらい前に看護師を辞めた。
だけど、しばらく看護師として働いてきたということもあって、これは絶対読みたいと思った。
著者さん自身が看護師として働いてきたからこそわかる、現場の細かい描写であったり、看護師としての感情の揺れ動きが、私にも痛いほどわかって、
「あるある!」と楽しく読めるところもあれば、
私が看護師を辞めた理由にもなった苦しいこととかを鮮明に思い出した。
ここからは私の話。
長々と自分語りをするが、悪しからず。
私は急性期の心臓血管外科の病棟で新卒から勤務した。
もちろん、自分が望んで急性期病院に入職したし、循環器を学びたいという希望も叶った。
けれど、急性期という特徴柄、入れ替わり立ち替わり入退院がある。術後の経過も短く、手術が成功してICUから戻ってきた後は、あっという間に退院。そして、冷酷な言い方かもしれないが、亡くなる時もあっという間。
私自身、病棟で心配蘇生をした経験もあるし、容体が急変する現場に何度も立ち会ってきた。
だから、一人の患者さんに深い思入れも無く、次の患者さんの看護が始まる。
語弊を恐れずに言うと「生と死」が身近すぎて、
日常になってしまったのだと思う。
一方で、術後の経過は長いが予後不良であったり、癌の終末期といった患者さんはほとんどが別の場所へ転院となるため、そういった患者さんと関わる機会も少なかった。
そのため、見方を変えてみると、
病気による苦痛や「死」を意識して苦しんでいる姿を見たり、
長期で関わることで感情移入してしまい、お看取りが辛くなってしまうという経験も無かったため、
この場所が合っている人もいると思う。
そして、当時はコロナ禍ということも重なり、ご家族との面会も制限されていた。一番ピークの時は、亡くなった時でさえ面会ができず、タブレットを使用した画面越しでの死亡確認。
そんな中で看護師としての経験を積んだため、
良くも悪くも「死」というものを深く悲しむことができなかった。
多忙な毎日で患者さん一人ひとりと向き合う余裕も無く、業務に追われる日々。
私は「ナイチンゲール」に憧れて、看護師になったのに。
幼少期に憧れた、戦地の中で傷ついた兵士たちに「無償の愛を捧げる看護師」になんてなれていない。他にも理由はたくさんあるが、
理想と現実を思い知らされ、もどかしさを感じたことも誘因となって、私は看護師を辞めた。
だけど、この小説に出てくるような療養型や慢性期の病院に勤めていたら、私の看護観は変わっていたかもしれないなとも思えた。
自分の看護観と現状の違いにたくさん悩んだ、
新人の本木ちゃんのように。
オペ室と療養型病棟という異なる看護を経験した上で新たに挑戦したいことを見つけた、
透子さんのように。
もう一度挑戦してみてもいいかもしれない、
看護師としてまだやれることはあるかもしれない、
と背中を押してくれる、そんな素敵な作品でした。
出会えて良かった。






