
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年7月26日

ラディカル・マスキュリズム
周司あきら
まだ読んでる
就寝前読書
お風呂読書
第4章読み終わる。
〈これまで日本の男性学では、メンズリブ系の男性運動が正当性をもって語られる一方で、他の運動がどのような展開を迎えているか十分に描かれてこなかった。そのため第4章では、無視するか否定的な評価を下したくなる運動についても、「男性運動」の範疇で捉えてその内実を追うことを目的とした。〉(163頁)
確かに目から鱗のアプローチだった。「男性運動」を幅広く捉えることで新たに見えてくるものがあるな、と。〈男性が「男性であること」を引き受けながら(性)差別に抗うとしたら、「親フェミニズム」というより「反セクシズム(反・家父長制)」や「半フェミニズム」の姿勢で関わるのが望ましい〉(165頁)という提案も、そうだよなと思う。
第5章も読む。
主題はヘゲモニーだけど、「共犯的な男性性」のくだりは痛いところを突かれたと感じるし、そう感じる男性は多いのでは。
〈男性を優位とするジェンダー秩序が少し揺れたとみるや、セラピー(癒し)を必要とし、現存する性差別には無関心でいられる。そのような男性の有り様は、直接的なヘゲモニックな男性性ではないにしても、それを支える共犯的な男性性なのである。〉(180頁)
〈ヘゲモニックな男性性はその内実が変化するものである。他方で変わらないものがあるとしたら、男性のヘゲモニーのほうである。/だから問題は、男性をヘゲモニーにいさせつづけるジェンダー・システムが不問にされてしまうことなのだ。〉(182頁)
ちなみに、ここからさらに「トランス男性」の視点が加わり、「複合特権」という概念や「ヘゲモニーなき男性」という構想が提出される。著者ならではの考察が展開されていて、ここだけでも読めてよかったなと思った。
〈さて、問題はここからである。トランス男性が「女性」から「男性」へ社会的カテゴリーを変えていくとき、いったいトランス男性は何を「変えて」いるのか。〉(183頁)
〈ジェンダー秩序を問題にするとき、男性はヘゲモニーを有するカテゴリーだと通常想定されている。しかし、そこには大きな見落としがある。いったい男性は「いつから」ヘゲモニーを有するのか、という問いが不問になっているのだ。〉(186頁)

