Yamada Keisuke
@afro108
2025年7月27日

今日もよく生きた
佐久間裕美子
読み終わった
先日、common houseで行われている植本一子さんの写真展を見に行った際、著者の佐久間さんがたまたまいらして、その場でサインしていただけるとのことで本著を購入した。「こんにちは未来」での若林氏との丁々発止のやりとりをいつも楽しんでいるのだが、その背景にある佐久間さんの今の考え方がより深く伝わってくる内容で興味深く読んだ。
副題どおりNY在住の佐久間さんが自分の愛で方=セルフケア、セルフラブについて、あますところなく綴っている。日本では「ご自愛」という言葉が普及し、自分に対するケアを大切にするムードが醸成されつつあるが、欧米ではさらに進んでいて、セラピーにかかることが日常的だ。佐久間さんがセラピーで自己分析した内容に基づいて、セルフケアへとつなげていく過程をみると、セラピーを通じて自分を客体化していくことで楽になる部分があることに気付かされる。自分自身で客体化できているつもりでも、自然とブレーキを踏んでしまっている部分が少なからずあり、言語化を通じて内なる感情を引き出し、クリアにしていくことの有用性を感じた。
特に印象に残ったのは、NYでサバイブするために「強い存在」として自分を位置づけてきた佐久間さんが、年齢を重ねるにつれて弱い部分も含めて自己開示できるようになっていく過程だ。アクティビストとしての精力的な活動の裏側で、文章だからこそ開示できる深く繊細な部分がある。終盤にかけてはセクシャリティ、子どもを産むこと、父の死といったパーソナルなテーマが次々と語られ、数々のストラグルに対して「今日もよく生きた!」とタイトルそのままの言葉を送りたくなった。
「How are you?」 カルチャーに関する論考も興味深い。日本では「調子どう?」から会話が始まるケースは少ないわけだが、英会話教室に行くと、毎回のように必ず「How are you?」と聞かれる。そのときに「調子よくないと言うのもアレか…」と思って、なんとなく「I’m good」と毎回答えていた。実際の自分の感情と乖離した表現を口にすることのモヤモヤがあったのだが、このやり取りは相手を慮ったケアの一種だから、素直に表現すればいいのだと思えた。
また、日本の「バチ」の概念が自責の念を強める遠因となり、呪いのように心に忍び寄るという指摘も鋭い。なんでもかんでも「自己責任」で結論づけてしまう社会的な圧力に抗うためのセルフケアという文脈は、今を生きる多くの人にとって必要なことだろう。
内容としては自己啓発に近い部分があるが、単なる方法論ではなく、その背景にある状況や考えがセットで書かれているため、ケーススタディとして読むことができる。人生の先輩による指南とでもいうべきか「ここに石があるから気をつけな」と先回りして教えてくれるようだ。たとえば、先日の選挙結果をふまえると、コロナ禍における誤情報による「別れ」が辛かったという話は、これから日本でも現実味を帯びてくるのかもしれない。
極度の天邪鬼体質なので、自己啓発的なものを敬遠しがちなところがある。それは押し付けがましく、資本主義社会において、とにかく利口に生きていくためのライフハック的な要素が強いからだ。しかし、本著では佐久間さんが色々な情報を見聞きしながら、自分の中で生まれた考え方について、人生をご機嫌に過ごすための「人生の道具箱」として整備しているから参考になった。一次情報を確認して自分ごとにしていく作業は、真偽不明な情報が飛び交う中では今後ますます必要かつ重要な能力になってくるだろう。何かに触れたとき、自分がどう思うか、そしてどんな人生を生きていくのか、主体性を取り戻すためには格好の一冊だ。

