
阿久津隆
@akttkc
2025年7月19日

ダロウェイ夫人
ヴァージニア・ウルフ,
丹治愛
読んでる
「自分があらゆる場所に存在している感じがするの」とピーターにクラリッサ。
p.271
「ここ、ここ、ここ」にいるだけじゃなく(と彼女は座席の背をたたいた)、あらゆる場所に。シャフツベリ・アヴェニューを走りながら彼女は大きく手を振った。わたしはあれ全部なのよ。だからわたしなり誰かなりを知るためにはその人を完成させている人たちを、そしてその人たちを完成させている場所も、見つけださなければならないのよ。一度も話しかけたこともない人、たとえば通りを歩いている女やレジに立っている男にも、わたしは奇妙な親近感を感じる。木々や納屋にさえ。そして結局それはひとつの超越的な理論になってゆくのだ。その理論のうえに立って、そしてそこには死の恐怖も働いていたが、彼女は(その懐疑的傾向にもかかわらず)こう信じていた、あるいは信じていると言っていた。外なる現象としてのわれわれ、われわれの目に見える部分は、それとは別の目に見えない、広々と広がっている部分とくらべればひじょうにはかないのであり、その目に見えない部分はわれわれの死後も残り、どういうかたちでかあれやこれやの人にむすびついたり、ある場所にとりついて生きつづける、と……たぶん、そうかもしれない。
これはもう、この作品そのものだ、この小説が『ダロウェイ夫人』と名付けられていることをこれ以上なく説明するところで、うわ、すごい箇所だ、と思いながら熱心に読んだ。
