ryoya "ほんとうは、どうしたい?" 2025年7月31日

ryoya
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@ryoya0707
2025年7月31日
ほんとうは、どうしたい?
ほんとうは、どうしたい?
しいねはるか,
佐々木ののか
162 すごかった。驚いた。佐々木ののかさんの文章をもっと読んでみたいと思った。 似たような感覚がある。今までの恋愛、そのほとんどは「重い」って言われて、お別れを切り出されてきた。その度に自分の重さを呪ったけど、でも別の人と付き合っても、愛の重さのその軽い重いを自分でコントロールすることはできなかった。大事にしたいと思えば、考えるより先に体が動くし、自分の抱えている仕事よりも、相手のことを第一に優先したいと思った。 友人関係や恋愛関係でそんなふうにしていると、「見返りが無い」と感じることがあった。したくてしているのは自分で、別に何かを返して欲しくてやっているわけじゃ無いけど、せめて自分のことは大切にして欲しいと思うことがあった。自然な時の流れとして、自分が想いを向けた友人が離れて行くときにとても寂しくて、けれど「相手のためを思うならば、それがいい。寂しいとは思っていけない」と考えてきた。 佐々木さんと同じ感覚だとは思わない。でも、自分も子供が欲しいと思うことが、何度もある。それは自分ができる限りの愛を注いでも、そこに「注ぎすぎ」ということがないのではないかと思っているからかもしれない。愛を注ぐことができる相手が欲しいのだと思う。愛を向ける時に、自分の力が一番発揮される感覚がある。勇敢にもなれるし、苦痛だって乗り越えられる。そう思うことは危険だろうか、? 母親は自分の存在に愛を向けてくれた。でも、父親からはずっと能力や才能を見つめられている気がする。そうでなくても愛してくれているとも思うけど、お金を出してくれたり、気にかけてくれたりするのは自分に稼げるようになるため、強くなるため,成功できるようになってもらうためだと思う。その期待を裏切るのは怖い。平均でいることには罪悪感を感じる。それは条件付きで与えられてきた愛のせいだろうか。 無条件に、無限に人を大切にしたい。それだけで結構自分は幸せになれる。
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