ほんとうは、どうしたい?

93件の記録
- ryoya@ryoya07072025年7月31日読んでる29 《好きになることは、自分の世界をつくり、そこにデビューすることなのだ》 誰かの世界、既存の世界を見つめて、そこにデビューするたびに体と心が引き裂かれてきた、、自分の「ぜんぶ」を満たせる世界をつくりたい。 それは一つの仕事でという意味ではないだろうな。世界の認識の話でもあるかな。
- ryoya@ryoya07072025年7月31日読んでる紫波町でタイトルに惹かれて購入。眠らせてた本を今かもと思って読み始めた。 最近、寂しく心細いと感じることが多い。それは主に自分の生き方や仕事の選択に関すること。この道が本当に合っているのかな(①正解なのかな ②自分に合ってるのかな) に確証が持てず、その中で日々をそそまま前に進ませていくのが怖い。 中学数学で一次関数をやるけど、y=axのaの傾きが少しでも違うと、×(経過時間のような感覚)が大きくなったときに、全然違う場所へ辿り着いてしまう。それだけ打ち上げ角度は大切だから、出発する前の方針が大事だと思い込んでいる。 ↑でもさ、人生は一次関数ではなく折れ線グラフだったり、指数関数みたいだったり、もはや平面のグラフで表せるほど少ない変数のゲームでもない。多分自分がイメージしてるのは「適切な職に就き、順調に収入や社会的信頼、そして社会や他者への影響力を積み上げ、増加させていくゲーム」ことだ。 実際、このゲームが覇権的な世界だと思う。だからうまくプレイできないと自分は劣っていると感じてしまう。自分は自分なりに方法でこのゲームを攻略したいのか、それとも別のゲームをプレイしたいのか。それともゲームが別に好きじゃ無いのか、分かりたい。 - 仕事をする中で感じている自分にとっての「寂しさ」はこの3つかも ①共に頑張る仲間がいなくて寂しい ②必要としてくれる人がいなくて寂しい ③気にかけ、育ててくれる人がいなくて寂しい そして、就職したらそれが全て解決するんじゃないか?と思ってる。ちなみに大学時代は上記寂しさは全て感じないで済む環境だった。めちゃ調子良かった。 フリーランスだし、寂しさ心細さは当たり前だと思う。未熟なままなんとかやってるから、そりゃ不安にもなる。なんで自分は就職してないんだ? ・大学時代から多少稼げてしまったので、そのままいけるのではと思った ・週5で通い続けるみたいなの想像しただけで結構キツい ・既存の仕事の関係、結構すき。必要としてくれるクライアントと仕事ができなくなるのは寂しい。 → もしくは断るのが申し訳ないと思っている。 ・嫌な人とは関わりたく無い、本当に。自分が関わる人は自分で選びたい (甘いだろうか) ・自分の頑張りに応じてお金が沢山欲しい。それで周りの人を助けたり、世界中見に行ったりしたい。 ・やりたくない仕事、したくない( → だが自分のやりたい仕事とは?まだ全然多様な仕事を経験してなく無いか?) こんな感じの理由である。 寂しさの①②③は、就職してなくても乗り越えられる。もう本当は持っている。ただ自分を選んだ道を信じ切れてない、力を出し切れてない感覚。 いままで自分が力を発揮できた場面は ・締め切りのある無茶振りが発生して、ガムシャラに走り切る。要素分解して攻略した。 ・チームでやる必要があること。自分は人を生かしながら、全体をマネジメントするのが好きだし得意だと思う。 苦手だったこと ・自分1人で長期取り組む → 浪人生活、音楽制作、卒業制作 人とやる仕組みを作れなかったこと「自分1人で解決しなきゃいけない」「評価されるのが怖い」と思っていて全部失敗してる。 いまやってる仕事もこれに近い。だから、上手くいってなくて、上手くいってないから道を疑い始めてる。上手く行ってるときは道を疑ったりしないもんね。 上手く行くことが選ぶべき道なのかな、それとも短期的には上手くいかなくても「すべきこと、ありたい姿」(これって憧れってことか?) を目指すのが良いのかな。 自分が幸せなのは前者だと思うな。その方が力を発揮できる。その先の未来で、きっとすべきことやありたい姿が見えてくるんじゃないかな。だっていま自分の中にある「すべきこと、ありたい姿」って憧れをきっかけにした色んな他者の姿だもん。それはそれで大事にしていいけど、具体的なレベルで彼らと同じでいようとすると違う人間だから無理がでる。実際きつい。 憧れからもらったものは感覚レベルで自分の中にちゃんと落ちてるよ。だから、具体で憧れを目指するじゃなくて、とにかく上手く行く方を選び続けよう。それが良いと思った。
- ryoya@ryoya07072025年7月31日読み終わった162 すごかった。驚いた。佐々木ののかさんの文章をもっと読んでみたいと思った。 似たような感覚がある。今までの恋愛、そのほとんどは「重い」って言われて、お別れを切り出されてきた。その度に自分の重さを呪ったけど、でも別の人と付き合っても、愛の重さのその軽い重いを自分でコントロールすることはできなかった。大事にしたいと思えば、考えるより先に体が動くし、自分の抱えている仕事よりも、相手のことを第一に優先したいと思った。 友人関係や恋愛関係でそんなふうにしていると、「見返りが無い」と感じることがあった。したくてしているのは自分で、別に何かを返して欲しくてやっているわけじゃ無いけど、せめて自分のことは大切にして欲しいと思うことがあった。自然な時の流れとして、自分が想いを向けた友人が離れて行くときにとても寂しくて、けれど「相手のためを思うならば、それがいい。寂しいとは思っていけない」と考えてきた。 佐々木さんと同じ感覚だとは思わない。でも、自分も子供が欲しいと思うことが、何度もある。それは自分ができる限りの愛を注いでも、そこに「注ぎすぎ」ということがないのではないかと思っているからかもしれない。愛を注ぐことができる相手が欲しいのだと思う。愛を向ける時に、自分の力が一番発揮される感覚がある。勇敢にもなれるし、苦痛だって乗り越えられる。そう思うことは危険だろうか、? 母親は自分の存在に愛を向けてくれた。でも、父親からはずっと能力や才能を見つめられている気がする。そうでなくても愛してくれているとも思うけど、お金を出してくれたり、気にかけてくれたりするのは自分に稼げるようになるため、強くなるため,成功できるようになってもらうためだと思う。その期待を裏切るのは怖い。平均でいることには罪悪感を感じる。それは条件付きで与えられてきた愛のせいだろうか。 無条件に、無限に人を大切にしたい。それだけで結構自分は幸せになれる。
- ryoya@ryoya07072025年7月31日64 自分が自分に課してきた「普通」は「人より優れていること」だと思った。常に人よりも優れていなければならない、それを証明しなければならない。そんな圧力が自分にかかっていて、それができなそうかもという可能性が頭をよぎるとすごく不安になる。お金を沢山稼げていることは、少なくとも大抵の人よりも自分は優れているんだということを意味すると思っているのかもしれない。さすがにそれは悲しいのではないか。どうだろう。 でも安全基地のように「少なくとも大抵の人よりも優れている」という実感をベースに、人に優しくあれるのならそれでもいいのかな。いや「少なくとも大抵の人よりは恵まれている」という感覚はあるんだ。とても。 自分を掘るたびに自分があまり美しく無い人間なことが浮き彫りなって落ち込みそうになる、、、自分のありのままを書くことは誰かを不快にされるのではとも思う。でも、ありのままってどこまでを指すの?もしかしたら与えられた規範や固定観念、作られた価値観という何重もの皮をかぶってしまっていて、「ありのまま」という真ん中に辿り着けていないだけでは?でも、全部を剥いたら、玉ねぎみたいに何も残らなかったら?まだ、わからない。。。
- ryoya@ryoya07072025年7月31日読んでる自分について掘り下げて考えるときに「病んでるの?」とか言われるのがうざい!別に病んでないし、心配をかけようとも思ってない。ただ自分の感覚を表現しているだけなのに。それに「ネガティブ」なラベルを貼られるのが嫌だ。でも「ポジティブ」な自分でいるべきだ、という感覚も持ってしまっている。いつも笑顔で、あっけらかんと明るく優しい人。人の前ではそうありたいよ。でもそれもなんでだ?いや、だってその方が一緒にいる時間楽しいって思うから。一緒に楽しみたい。 別に明るくしてたら「壁を作ってる」とか、弱音を吐いたら「信頼してる」とか、そんな簡単な話じゃない。相手のことが大事だから明るくしてるときもあるし、弱音を吐くのは信頼してるからじゃなくて単に甘えてしまっているときもあるし。てか甘えたい時もそりゃあっていいし。 安心して自分の輪郭をなぞれる場所を見つけるのもこんなに一苦労なのだなと思う。自分は音楽に対して規範が絡まりまくって有刺鉄線だらけになってしまい、それができなくなってしまった(側面もある、一部) 。 日記ではそれができる。でも日記だとサボるし、どうせ自分しか読まないからと言葉にするのを怠るところもある。ので、ここはちょうどいい。
- ryoya@ryoya07072025年7月31日44 自分の感覚に丁寧に形を与えたい。誰かの持っているものから、今まで見てきたものの中から選ばなくていい。固有の、じぶんの、ぜんぶを、なぞってみる。丁寧に。 自分が自分を理解できたら、それで十分大切にできる。擬態はしたくない。
- soi@soi_i222025年5月8日買った読み終わったまた読みたいこどもの日に Shibuya Publishing & Booksellersにて 少し開いてみたところ、これは今読みたい感じのものな気がして購入。 自分にとっての心地よい生き方を 見つけるヒントとして これからもたびたび 手に取ることになりそうな本。