
より
@honeypie
1900年1月1日

走れメロス
太宰治
読んでる
駈込み訴えだけ必要があって先に読んだよ
太宰治 「駈込み訴え」
理由があって再読
一度高校生の時に読んだのですが、その時ほんとに読んでた時キリスト教にガチ興味なくて、今勉強して読み直してるけどめちゃくちゃ弟子の名前出てるじゃん!!!これ読んで気づかなかったの、わたしすごいばかだな
デカデカクソデカ感情・執着・憎しみ・愛・裏切り
ユダの憎しみやら悲しみやら絶望やら自暴自棄やら愛やら同情やらなんだかわからない気持ちを短時間で浴びてしまった
駈込み訴え、人生で 2回読んだけど 2回とも驚きがあってすごい うれしい これをまた読むきっかけをくれてありがとう
これは聖書じゃなくて駆け込み訴えの話をしているので宗教的な意図は全くないんですけど、ユダってイエスに一番愛されたかったけどイエスは全てを愛してるからユダはいつまでも一番になれなくて
マリアがイエスに油を塗るシーンでユダが激怒して、この香油を塗って貧しい人に分けてあげればいいのにと怒ったのもさあ会計係うんぬんというよりもう私情で、イエスはマリアを許すんだけど、その態度すら気に入らなくて、自分の身銭を貧しい人のパンに変えてしまうことに怒ってたわけじゃなくて
マリアへの博愛を見てユダは「やっぱり自分は一番にはなれない」という嫉妬の気持ちと、「私が信じた聖人が女に誑かされている」という曲った見方ゆえの勝手な失望とごちゃまぜになって、もうこいつを売ろうと決心するんだけど
イエスはそれをわかっててユダにパンの接吻をするんだけど
そのシーンではイエスはユダに「あなたがしようと思っていたことをいますぐにしなさい」と聖書では伝えてて、駈込み訴えではそこまでは明確に書いてなかったけど、「全て企がばれている」という前提で、「裏切らないで」と懇願されるとか、「お前には失望した」と怒られるとかを想定してたんだろうけど
それをせずに、イエスが「あなたのしたいようにしなさい」と言い、裏切りを受け入れ、ユダのことをちゃんと愛してて
でも駈込み訴えのユダはそれを受け入れることができなくて、そのイエスの「愛」はユダが欲しかった「愛」ではないんだよ
最後自嘲的に「金のためですよ」となってたのも嫌だ 銀貨30枚…
イエスのアガペーをユダは理解できない ユダはイエスに対してデカすぎる感情があり、イエスのいちばんになりたいと思ってたから(駈込み訴えの話です)
イエスは全てを愛してるから ユダの裏切りも、マリアのことも、ペトロやアンデレやトマスも全てを愛してますから…