
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年8月7日

まだ読んでる
お風呂読書
特集3「ヒロシマ史論」から読む。
「南京陥落を祝う提灯行列」(1937年12月)と天皇・皇后の来訪を歓迎する「提灯行列」(2025年6月)、二つのグロテスクな「提灯行列」から書き起こされる青松青児さんの論考、「軍都・広島/平和都市・広島」の過去/現在を考えるうえで、今読めてよかった。
「ノーモア・ヒロシマ」をより広く、よりラジカル(根源的)に再定義しようという提案。そのためにも〈少なくとも四つの巨大な暴力が交差したという認識が必要〉という(126頁)。
⑴ (1894年前後の)広島「への」暴力
⑵ 広島「から」の暴力
⑶ 広島「での」暴力
⑷ (1945年の)広島「への」暴力
これらすべての暴力に「ノー」を突きつけるために、「ノーモア・ヒロシマ」という言葉の宛先や対照を複数化していくこと。その一つの具体例として、例えば〈核兵器以外の暴力の歴史〉(128頁)とも向き合った人物、沼田鈴子さんが紹介される。そしてその歩みを、苦闘を、葛藤を、願いや誓いを「継承」していきたい/していこう、と。
『地平』9月号に重要なルポを寄稿していた宮崎園子さんの論考も、ある意味では上記の暴力⑵⑶を乗り越えるための実践の一つといえそう。
もうそんなに経ったのかと吃驚したけど、このタイミングで「広島・タイムライン事件」(2020年)を検証することには確かに意味があると思った。〈原爆さえ扱えば、それは「ヒロシマ」報道なのか〉(137頁)。やはり今こそ考えたい重い問い。

