
DN/HP
@DN_HP
2025年8月9日

たのしい保育園
滝口悠生
読み終わった
また読みたい
少し遠くから話しはじめる。ゆるやかに話題を移しながら自由に。出来るだけ長く話していたいから。愛おしく大切に思う時間と記憶、かけがえない瞬間を丁寧に言葉にしていく。目に見えていたもの、聞こえていた音、思っていた、思い出していたこと。見えっこないもの、聞こえなかった音、想像するしかないこと。それらの連なり。ぜんぶなかったことにしようとはせずに、誰かに伝えたい、忘れたくない時間と記憶を、そこにたしかにあった/ある世界を話し続ける。
そこにいた/いるあなたの本当のところは想像することしか出来ない。目に前にいても、遠く離れていても、そうすることしか出来ない。あなたもわたしを想像することしか出来ない。それはお互いに侵犯的なことかもしれないけれど、そうすることしか出来ないのなら、そこには敬意や愛情が必要だ。他人を真摯に思い想像すること、思われ想像されること。その相互性の上で世界はなんとか成り立っている。
しかし一方で世界にはその敬意や愛情をもった相互性を「徹底的に拒む」ところに巣食う「悪意や暴力その無慈悲さ」が存在する。今も見せつけられている。歯痒いし恐ろしい。「ももちゃんのお父さん」もそれらを「ただおそれることしかできない」と思うけれど、愛おしく大切に思える時間と記憶があって、そこに敬意や愛情のある想像力を使って、人を宛先を思いながら書かれたこの小説がある。そのことは悪意や暴力、その無慈悲さに直接的に抗することではないかもしれないけれど、この小説を読めば世界がまだ敬意や愛、想像力、真摯な相互性の上で成り立っているとたしかに思うことが出来る。そこには希望がある。
「希望はギフトだ、誰にも譲り渡す必要はない。そして力だ」レベッカ・ソルニットも言っていた。この小説はわたしを宛先にはそんなギフトも届けてくれた、と二度目を読み終わった今はそう思い込んでいる。わたしたちにはまだ力がある、と元気も出てくる傑作。わたしも川べりを歩きながら、そんな小説の読後感を噛みしめたい。





