
はる
@tsukiyo_0429
2025年8月8日

たえまない光の足し算
日比野コレコ
読み終わった
衝撃的な作品だった。
薗やハグ、ひろめぐたち「とび商」は、「かいぶつ」と呼ばれる時計台のまわりで商売をしており、薗は異食、ひろめぐは軟派、ハグはフリーハグをしていた。
爆発を待つ時計台は薗たちの気持ちを表しているようで、気持ちがいつ爆発するか分からない危うさを感じた。
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「痩せたらなにもかもが変わる!」
美容外科に飾られたそんな広告をきっかけに、薗はダイエットをして痩せ、異食をするようになった。
口にするものが「食べ物」であればあるほど食べられず、「食べ物ではないもの」であれば食べられる。
特に花の雄蕊と雌蕊を好んで食べる描写が強く印象に残っている。
そんな薗の行為は異様で考えられないものであったが、途中から登場する抱擁師・ハグにより、薗の異様さが私の中で薄れた。
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この小説を読む中で考えたことは、大きく分けて二つある。
一つは、世間からの性別の捉えられ方だ。
性行為に関して、世間から向けられる目が、性別(この小説では女性と男性)によってかなり異なり、イメージが固まってしまっていると感じた。
ハグ(女性)とひろめぐ(男性)の行為をSNSで目にした人たちは、ハグをか弱いもののように扱い、抱擁師としてのハグの仕事は破綻してしまう。
本当は、抱擁師であるハグの包容力で成り立っていたものなのに。
動画一つでハグの仕事が成り立たなくなってしまう流れの中で、頭のどこかで「やっぱりな」という諦めにも似た気持ちが浮かんだ。
女性を弱いもの、支配されるものだと捉えられてしまうのは、本当に悔しい。
そして、その人自身の光を性的魅力だと思われ、それが生涯拭い去れず、何をしても「そのせいだ」と思われてしまうのは、とても苦しい。
その人自身の光は変わらないはずなのに。
考えたことのもう一つは、過剰な包容力についてだ。
ハグとひろめぐの行為について、「抱擁師であるハグの包容力で成り立っていたもの」と書いたが、その包容力が恐ろしかった。
「包容力」という言葉からは温かく優しいイメージを抱くが、ハグのそれは果てしなく、それゆえに近寄りがたいような感じがした。
ハグは「みんなのひと」になりたかったし、そのためならどんな手段を使ってもいいと思っていた。
そのいきすぎた包容力は、薗の異食よりも怖く感じた。
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ハグの仕事が成り立たなくなる中で、薗の気持ちに変化が起きていたのが印象的だった。
これまで疑わず迷わず生きてきた薗が、初めて「方向転換」をすることを考える。
ハグとひろめぐが《痛くない出口》に向かったあと、「非生活者」だった薗が「人間(=生活者)」になるために動きだすラストは、ほんの少し希望があると思った。



