糸太
@itota-tboyt5
2025年8月11日

作文
小山田浩子
人はそもそも聞きたいことしか聞かない。記憶もそう。覚えたいことだけ覚え、その中から誰かに話したいことだけを話す。
さて、語り継ぐと言ったときに、その対象はどこまで本当と言い切れるだろうか。直接の体験者であろうとなかろうと、語られるということは、それ自体に意味があるのであって、もしかしたら内容は二の次のような気もしてくる。
広島への原爆投下を語り継ぐとき、この「作文」という小説が取った方法は、類まれなる有効打であるように感じた。疾しさが疼くという、その点において。

