
りおかんぽす
@riocampos
2025年8月11日

去年、本能寺で
円城塔
読んでる
第10章「偶像」
親鸞の長男で親鸞に義絶された東国のアイドル善鸞(史実にだいたい合ってる)、そして法然と親鸞の浄土教について。
ここ最近に京都国立博物館での法然展も親鸞展も鑑賞を経てきているので、法然も親鸞も、善鸞も(本願寺第3代)覚如も事前に押さえた上で読めている。この時期に読めて感謝。近代の一時期に発生した「親鸞非存在説」も取り上げたり。
法然そして親鸞は「仏教」の中でも特異的で、私の理解も円城塔(敬称略)とほぼ同じ。かなりぶっ飛んでいる。なにせ日本仏教では真っ先に批判している女犯を平然と乗り越えた(違反した、ともいえる)親鸞。法然の浄土教を更に推し進めて「絶対他力」つまりは自ら救われようとする事さえ否定した親鸞。当時ではカルトだったと思うよ。
他方、日本仏教も仏陀の編み出した教えにどの程度合っているのやら。いずれにせよ、善鸞はそのぶっ飛びに付いていけなかった、のかもしれないよね。でも善鸞は彼なりに父に沿うよう頑張ったのだと思う。
本願寺の基礎を成した覚如は、善鸞の子の如信を本願寺2代として自身を3代としたのは、やはり善鸞と如信のものが(布教と教勢拡大のための)理論体系として優れていたからだろうし。本願寺には(同じ真宗に)佛光寺という強力なライバルが居たわけだし。
話が大きくズレた。
この話は再読したい。
気に入ったフレーズ:
善鸞が説く。「父の教えに従う者は皆道を外れる。父の考えは父のものであるのだから。ただ、父の論に反論しようとする者だけが、父の教えを継ぐことができる。…」(p.274 )


