
りおかんぽす
@riocampos
りおかんぽすです。本は何かしら毎日読んでます。マンガもかなり読んでますが登録しないかなあ。
ここでは意図的に「読む」いわゆる物語がある本に限らず、図鑑や辞書など、何か調べるときに触れた本も記録しています。
また「読みたい」本はどこで知ったか、なぜ読みたいのかを、「読んでる」本は進行状況などメモ書きなどを入れています。単にタグ付けるだけでも良いのですが、意図的に一言だけでも書くように「実験」しています(タグ付けのみで済むのがReadsの良い点だと認識していますが、それに反したことをやってるのは自分への「実験」です)。←2025/6以降は実験がうまくいってないですorz
- 2025年7月10日去年、本能寺で円城塔読んでる第5章「実朝の首」 未来記に従わざるを得ない人々。道三の話でも未来からの文書に左右された(情報のみだが)けど、こちらは未来に自分が書いた書状に左右されてしまう人と、そこから更に影響受けてしまう人たちの物語。 第6章「冥王の宴」 表題裏にあるのはカント「純粋理性批判」。読んでません。 そして物語は冥王代、つまり地球表面がまだマグマオーシャンだった頃、太陽系が形作られつつある頃。 なのに何故か信長だの本能寺だのが出てくる。何故なら、世界がラプラス的であれば、初期運動で全て未来が確定してるから将来信長になる分子の運動も確定してる…いやあ古典論だねえ(と誤魔化しておく)。 この辺りで本は半ば。戦国時代に絡めて話作りしてる物語が多めだなとの印象。おそらく表題の「去年、本能寺で」が現れる最終章では、それまでの章(というか短編)がいい感じに土台を作るのだろう、と予想しておく。 しかし図書館の貸し出し期間が終わったので、図書館へ一旦返却。
- 2025年7月8日去年、本能寺で円城塔読んでる第4章「存在しなかった旧人類の記録」 感想を途中まで書いてて、投稿し忘れて消えてしまった…。わりとしっかり書いてたから残念。 旧石器時代ミステリ。なのでオチは書けない。けど表題裏にはポーの「モルグ街の殺人」の森鴎外による別訳のことが書いてある(青空文庫で読める)。
- 2025年7月5日去年、本能寺で円城塔読んでるネタバレありです。 第3章「三人道三」 斎藤道三といえば小坊主から油売りを経て美濃の守護土岐氏を倒して一国を支配した下剋上の代表のような人だと思うのですが…実は油売りだったのはその父だった、という古文書があるのだとか。その文書が昭和に出てきたことを、なぜか戦国時代の明智光秀が斎藤道三に語るという場面から物語が始まる。 その文書が書かれるのも、そして見つかるのも、未来の話。しかし道三自身が持ってる小坊主時代や油売り時代の記憶が、光秀に聞いた途端に怪しくなってくる…なんだこりゃ。時間検閲問題か。 でタイトルは「一人の道三が二人に分割されるのなら、三人に分割されるのもありうる」。物語の最後辺りでは分割されてたのかな。 第4章「存在しなかった旧人類の記録」 タイトル裏にあるのは森鴎外訳のエドガー・アラン・ポー「病院横町の殺人犯」(青空文庫に掲載あり)。一般的には「モルグ街の殺人」という表題で知られる。読んだことは全くない(のだがネタバレ例として有名な話らしい)。 物語の舞台は旧石器時代。ゾウ送りの祭りの夜に死者が出た。部族の有力者はゾウ送りをおざなりにしたとして、死者の出た部族に責任を取らせようとした。それに対し、その部族にいる《探偵》と《助手》が犯人を探す。もちろん真犯人を探すことよりも、有力者を納得させれば済む。 人殺しに使われた石斧を発見した探偵は石工に見せそれが「人(ホモ・サピエンス)の手では作れない」ことを指摘される。つまり、殺人犯は、同時期に生きている、ホモサピより力強い猿人の仕業か?と思いきや…。 いちおう推理小説風なのでオチは隠す。
- 2025年7月3日去年、本能寺で円城塔読んでる第2章「タムラマロ・ザ・ブラック」 坂上田村麻呂と阿弖流為をガリア戦記におけるカエサルとウェルキンゲトリクスになぞらえた話…かと思いきやわりと違う。 ネタバレになるのですが、タイトル裏頁にあるシェークスピアのオセロの一文 "And I, God bless the mark, his Moorship's ancient." から気付くべきで、黒人の坂上田村麻呂はムーア人(黒人として扱われることもある)の将軍であるオセロになぞらえている。オセロの部下のキャシオー、イアーゴーも出てくる。なおシェークスピアはほぼ知らないので、一読後に登場人物を調べました。 で。私は枚方市に住んでおります。文中に 「現在、枚方市にはアテルイの首塚を称する石碑が存在するが、これは史的な根拠を欠いた有り合わせであり、そのことは枚方市自体も認める。根拠としては、枚方のとある住人の夢枕に、アテルイが立ったことを置く。」 とあって、全くその通りなので驚きと共に大笑いしてしまいました。ところでこの文に続いて 「侵略側の傲慢さをよくあらわしている。」 とあるのに、少しうなりました。アテルイが夢枕に立った人にはそんな意識は無かったでしょうが、そりゃ傲慢ですよね勝手にアテルイの首を刎ねた場所を決めたりしたんだから。 なお読後感としては、あまりスッキリしない。SF成分が少ないからか。でも、おそらく私がオセロを全く知らないからかも知れません。近々概要だけでも追ってみたいと思います。
- 2025年6月28日去年、本能寺で円城塔読んでる第1章「幽斎闕疑抄」 タイトル通り、古今伝授でお馴染みの細川幽斎が主人公。物語の舞台は史実における「田辺城の戦い」の場面そのまま。田辺城(現在の舞鶴市にある。調べると、江戸以前の地名は田辺で、明治になり山城や紀伊の田辺と区別するため地名を城の姿に因んで「舞鶴」としたとか)に隠居している幽斎67歳、しかし何故かAI、しかも軍事AIにして文事AI。(そういえば文事ってあまり使わない単語だね。なお反対語は武事。) 古今伝授やAIについてはいろいろと本文中に軽く解説あるものの、勾配消失問題(多層のニューラルネットワークで新規情報を学習しなくなる弊害)だのシグモイド関数(0周辺で0から1に変化する関数)だのReLU(Rectified Linear Unit: 正規化線形関数。正の範囲で入力をそのまま出力する関数。ダイオードの理論的ふるまいに相当。勾配消失問題の解決に用いられる)だの、断りなく用語を使ってくるところなどに苦笑。もしかするとこのAI歴史短編集?の導入として「はいこの本は技術用語をバンバン使うからねー」という予告だったりするのだろうかと思ったり。まあだいたい分かるので笑うだけなのだがw それはともかく。 「軍事AIも…罪の意識にさいなまれ、仏や耶蘇に救いを求める」 という文には前作「コード・ブッダ」を思い起こさせてくれて微笑んでしまった。 それからこの本ではフリガナの使い方が楽しい。例えば「古今和歌集」に「コレクション・オブ・ジャパニーズ・ポエムズ・オブ・エンシェント・アンド・モダン・タイムス」なるフリガナが振ってある。…確かに英語にすればその通りなのだろう(Wikipedia英語版「古今和歌集」にも"Collection of Japanese Poems of Ancient and Modern Times"とある)。ところで田辺にタナベ、丹波にタンバ、あと人名にもフリガナ振ってるのはどういったニュアンスなのだろうか。日本では無いという雰囲気作りなのかな。 余談:「幽斎闕疑抄」の闕疑について辞書で調べると 「けつ‐ぎ【闕疑】 〘名〙 (「論語−為政」の「多聞闕疑、慎言其余則寡尤」による語) 疑わしいものとして、決定を保留しておくこと。また、そのような事柄。細川幽斎(藤孝)著文禄五年版本「伊勢物語闕疑抄」のように書名に用いることがある。」(精選版日本国語大辞典) とある。幽斎が書いた本の題に因んでいるというところも要点なのか…わかんねーよそんなのwwと思ったのでした。 今後こんなに長文で書くかどうか分からないけど、まあ1つ目なので勢いで。
- 2025年6月27日
- 2025年6月27日
- 2025年6月27日
- 2025年6月26日吉備大臣入唐絵巻の謎黒田日出男読み終わった後白河上皇のサロンで作られたとされ、若狭に伝来し、今はボストン美術館が所蔵する「吉備大臣入唐絵巻」。先日まで京都国立博物館「日本、美のるつぼ」展にも(全4巻のうち第4巻が)出品されていた。現在残されているのは残念ながら前半部分のみ。物語自体は別の書籍に残されている。 物語は当然ながら史実とは大きく異なる。簡単に言えば「異国である唐で不思議な技を使って無理難題を切り抜ける吉備真備すげえ」「手助けした鬼の阿倍仲麻呂もGJ」「文選と囲碁と野馬台詩を日本へもたらしてくれてありがとう」てなところ。 さて。この本は「吉備大臣入唐絵巻」に錯簡、つまり絵巻の用紙の順序ミスがあるために、今までこの絵巻の評価が貶められてきた、という著者の主張を記したもの。しかも解説用図版として絵巻そのものではなく白描模写(色を付けずに輪郭線だけで写した絵)を使っており、描かれている内容がより理解しやすくなっている。 この絵巻について近代においてほぼ最初に取り上げた矢代幸雄は、ボストン美術館の購入後に論文を記している。矢代により本絵巻の理論的枠組み(パラダイム)が構築され、それがずっと続いてきた。そのなかで重要なのが「同一画面・同一人物の繰り返し」。同一構図で「楼・門・宮殿」が繰り返し出てくる。しかも物語と関係なく「楼・門・宮殿」が出てくる。これにより矢代は「単調な構図」「洗練された方法とは言えない」と低評価を与えた。 しかし錯簡が(しかも3箇所も)あるとすると「楼・門・宮殿」が意味なく繰り返し出てくる、という見解が崩れる。しかも錯簡で入っていた部分は、現存しないはずの絵巻き後半部分である、とする著者の意見には納得できる点も多く、推理もの小説のようになかなかにスリリングな展開が味わえる。 なおこの本は2005年刊であり、Wikipediaの「吉備大臣入唐絵巻」にはその後の研究論文も挙げられている。そちらでは錯簡は2箇所だとされているらしい。 なお著者はエピローグにて『絵画資料論的読解に興味を持ってくださったならば、拙著「謎解き 伴大納言絵巻」や「絵画史料で歴史を読む」…さらに「謎解き 洛中洛外図」』など他書の紹介をしているので、そちらも読んでみたいと考えている。
- 2025年6月26日
- 2025年6月11日
- 2025年6月5日
- 2025年5月30日
- 2025年5月30日読み終わった簡単にまとめれば、図鑑の取り扱いのコツ、というか、初心者は(分類が)細かすぎる図鑑は扱えないよ、図鑑を見る目を鍛えてね、といった本。やはら複数の図鑑(掲載種数が違うもの)があると良いようです。 図鑑では、慣れてないひとがやりがちな「絵合わせ」つまり図や写真を見比べるだけで同定することは「禁じ手」だと注意しています(p.70)。ダメな理由は「残念ながら生き物の世界は「非常によく似ているもの」が多いため」だそうです。なので同定作業は①よく見て特徴を探す②それを頭の片隅に置いて図鑑を引く(もちろん解説文を読む)③近似種な特徴と照らし合わす。 また図鑑ではなくInternetのWeb上にある画像で同定したくなるものですが…種によっては「ほとんどの画像が間違い」ということもしばしばある(p.133)とか…おそろしい。「信頼できるのは、分類学者が携わっているもの、論文や専門的なデータベースのみです。」 著者はクモ、特にハエトリグモの研究者(専門家)なのですが、この本では近所に生えるシダの同定をしたり、職場(某幼稚舎)構内の昆虫・クモの動物相(ファウナ)調査でハチやハエの同定をしたりして、専門以外のことで「同定作業はこのように行う」手順などを紹介しています。 とはいえ、種まで同定する作業が常に必要なわけではないでしょうし、このグループなんだな程度で良い場合もあると思うんですよね。文中にもありましたが「分類嫌い」を生まないようにしたいですね。
- 2025年5月24日
- 2025年5月23日
- 2025年5月19日洛中洛外図・舟木本を読む黒田日出男読んでる全7章+プロローグ・エピローグの構成。 「Ⅰ 舟木屏風の発見と美術史研究」。発見経緯から、画家が岩佐又兵衛に固まる(反対していた辻惟雄が賛成に回るまで)経緯を記す。また従来の研究が右隻偏重であることも指摘。 「Ⅱ 紺暖簾と「吹上げ暖簾」」。島原へ移転するまえの遊廓だった六条三筋町(六条柳町。現在の東本願寺の北方)が舟木屏風の右隻第6扇下部に描かれる。遊女屋の戸口にかかる暖簾が紺色(呉服屋などの格ある店を示すもの→遊女屋を示すものにも)であること、そして暖簾がまくりあがり店内を描く技法(「吹上げ暖簾」と命名)を指摘。また舟木屏風には遊廓以外の地域にも同様の紺暖簾が上がる状況が描かれる。公認の遊女屋が元和三年〜四年(1617-18)に奉行所へ訴えていたことも解説。これらから描いた時期を大坂の陣(慶長十九〜二十年(1614-15))の直前ごろと推定。
- 2025年5月17日
- 2025年5月17日
- 2025年5月15日
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