
りおかんぽす
@riocampos
りおかんぽすです。本は何かしら毎日読んでます。マンガもかなり読んでますが登録しないかなあ。
ここでは意図的に「読む」いわゆる物語がある本に限らず、図鑑や辞書など、何か調べるときに触れた本も記録しています。
また「読みたい」本はどこで知ったか、なぜ読みたいのかを、「読んでる」本は進行状況などメモ書きなどを入れています。単にタグ付けるだけでも良いのですが、意図的に一言だけでも書くように「実験」しています(タグ付けのみで済むのがReadsの良い点だと認識していますが、それに反したことをやってるのは自分への「実験」です)。←2025/6以降は実験がうまくいってないですorz
- 2025年11月25日
免疫の守護者 制御性T細胞とはなにか坂口志文,塚﨑朝子借りてきた読んでる今年のノーベル生理学医学賞を受賞した坂口さんの著書(インタビューをもとにライターさんに書いてもらって坂口さんが仕上げたとのこと、昔のようにゴーストライターではなく名前が出ているのは良い)。制御性T細胞(Tレグ)に絡めた坂口さんの半生記。 図書館で借りたが、貸出期間2週間では第5章「Foxp3遺伝子の発見」までしか読めず。 半生記としては楽しく読めるのだけど、Tレグがどのように働いているのか把握するのが難しくてなかなか読み進めない。また予約して続きを読むつもり。 - 2025年11月7日
百貨店の展覧会志賀健二郎借りてきた読み終わった東京国立博物館で開催中の「運慶」展には興福寺北円堂の弥勒如来坐像が出陳されている。初の出開帳かと思いきや、実は59年前の1966年に日本橋高島屋に出陳されている(「興福寺北円堂展」余話〈その1〉 ~60年ぶりの寺外公開となる弥勒如来像 : 初出展は、いつ何処で? 【2025.09.05】 | 観仏日々帖 https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-349.html ) このブログ記事に引用されていたのがこの「百貨店の展覧会」。戦後直後から高度成長期までの百貨店催事場そして百貨店の「美術館」での展示を取り上げている。 読むための動機が上のようなことだったので出開帳や美術展について読みたいと手に取った。しかし内容はそれ以外の催事のことが多くあった。なお取り上げられた百貨店催事は首都圏に限られる。 戦後復興期では出開帳を含む古美術展、そして産業展や子どもの作品展。その後昭和30年代では写真展、探検展など。高度成長期になり海外フェア、グラフィックデザイン展。沖縄復帰前後となれば戦後から離れた感があるのか戦争や原爆展。また文学展や昆虫展など。そして1975年には「西武美術館」が開館してイメージ戦略を生んだ。 なお百貨店で美術展や古美術展が開催された理由は、公共美術館などの不足。つまりインフラが存在しないので百貨店催事場を使わざるを得なかったと。百貨店展覧会に国立博物館が協力していることも多い。 終章では、百貨店展覧会により文化のフローばかり重んじられてストックが軽んじられ過ぎ、それが他の博物館・美術館へも影響を与えたのでは、との指摘がある。私も同感です。 他方で百貨店催事場で展覧会を開催することで、展覧会が主目的でない層にも偶然観覧する機会を与えたとも。出会いの場としての百貨店の利点。 個人的には、今はもう百貨店が目的地となることも少ないのではと感じている。大食堂も無くなった。マッシュアップ効果も激減してるだろう。百貨店が偶然の出会いを産むワクワクの場に復権することも無いだろう。 百貨店に対しての面白い視点を与えてくれた本です。一読推奨。 - 2025年11月7日
鏡の古墳時代(547)下垣仁志借りてきた読み終わった弥生時代末期から古墳時代にかけて銅鏡がどのような機能を果たしたのか、を示した著作。 なのだが、読者側の知識能力両面の不足により内容の半分も理解出来ていない。古墳時代のロードマップが脳内に構築されていないためだと思う。 いずれまた後日再読してみたい。 - 2025年9月21日
ガラスの来た道(563)小寺智津子読んでるこのところ出土遺物としてのガラス製品を各所の展覧会で見ている。表面が変質して銀化(虹色に輝く反射を生む)や白濁が出る原因を知りたいと思ってこの本を読んでいる。 その原因は本の初めの方「古代ガラスの化学組成とその分析」の章に出ていた。 「ガラスは非常に安定した物質であるが、水に接した場合、アルカリソーダなどの可溶性成分が水中に溶け出す。空気中であっても空気中の水蒸気によってこの変化は起き、長年経つと表面からアルカリ分などが減り(相対的にシリカの多い組成となる)、屈折率も低くなった薄い層が表面にできることになる。これは時間が経つと徐々に厚くなり、最初は虹色の次は白色の膜ができる。これを「やけ」という。古代ガラスによくみられる銀化はこの「やけ」が極度に進行したものである。」(pp.13-14) - 2025年9月13日
- 2025年9月4日
日本語界隈ふかわりょう,川添愛読んでる川添愛さんがふかわりょう氏と対談。ふかわ氏はおそらく有名人だと思うのですが全く知りません。 ふかわ氏の切り口が少し面白い、と思うことも一部あるのだが、大半は先入観と偏見とに満ちており(農耕民族と狩猟民族のくだりが耐えられない)、また文字数も余分に多くて、私には合わない。読み切るか悩む。 - 2025年8月29日
- 2025年8月29日
- 2025年8月22日
壬申の乱 古代日本の風景を歩く倉本一宏買った読んでる少し前に書店で内容確認してから購入。 いま2章ほど読み終え、大海人皇子が不破関に到着。 古代の人たちが実際に辿ったであろう道を現代に実際になぞってみると、実際の位置関係とかから推定地がより現実味を持って浮かび上がってくる、ということを紙面で追体験できる。近畿に住む者として、知っている地名がたくさん出てくるのも楽しい。 - 2025年8月19日
- 2025年8月19日
- 2025年8月19日
- 2025年8月17日
こうして京都府立植物園は守られたなからぎの森の会読み終わった京都府立植物園と京都府立大学キャンパスは守られた。のだと思うのだが、京都府側の「北山エリア整備基本計画」は未だに残るし、府大の校舎(特に体育館)が耐震性に問題あるのも放置されたまま。 巨大アリーナは府大構内から向日市の競輪場敷地へ予定地変更されたのは、単に植物園周辺が救われただけで、向日市内の貧弱な交通網を考えない勝手な計画なので、そちらもどうなのかとは思う。 日本各地で公共地が勝手に利用されている。その顕著な例が私の住んでいる大阪府であれば大阪城公園だと思っている。もうぐちゃぐちゃ。もちろん東京であれば神宮外苑も大変なのでしょうけど、実際に侵されている進行状況は大阪城公園のほうが酷いので。 この本が市民運動実践の一つのきっかけになれば良いとは思う。最終章最終節「運動を振り返って」はその為の節でしょう。ただ、この経験談を読んでも「幸運な一例」との印象は強い。行政のほうがカネもアタマもある状況に抗うのはとても大変だとも感じる。正直なところ、私自身はこんな面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだと思う。そんな思いをしないところへ住みたいものです。 - 2025年8月16日
こうして京都府立植物園は守られたなからぎの森の会借りてきた読んでる図書館の新刊コーナーで見かけてパラパラ読んでた。最後まで読みたいと思い借りた。個人的にも京都府立植物園のこの問題には関心を持っていた。 現状は半ばまで読んでる。京都府とコンサルの迷走ぶり、住民活動の生の声、また失敗談など、いろいろなものがごちゃ混ぜに含まれている(Change.orgのイマイチなところも書かれてて共感)。研究書ではなく体験談としての本なのでそれで良いのだけど、少し読みづらいのは仕方ないとはいえ残念。 また京都府立大学の体育館を公共アリーナとして建設する話についても知ってはいたものの私の関心からは少し外れていたが、この本で概要が掴めたし、かなり無茶があると分かったのはありがたい。 ちなみに「シアターコンプレックス」なる謎の構想が挙げられていた京都府立総合資料館跡地は現在、住宅展示場としてお茶を濁そうとしているのを先日見かけました。 - 2025年8月16日
「昭和」という国家司馬遼太郎借りてきた読んでるNHKラジオ第1の「朗読」特集にて2025年8月に取り上げられた(全12章のうち1-2章 https://www.nhk.jp/p/rs/LRK2VXPK5X/episode/re/5GQZY3M6JP/ )。図書館でNHKブックスになる前の単行本を借りた。番組企画者のあとがきによると、教育テレビのETV8の時間に12回に分けて放送(1986-87年)されたものを司馬遼太郎没後に書籍化(1998年)。 あとがきによると3回分を一度に収録したとのことなので、読むのも1-3章で区切る。 司馬遼太郎の中には、清廉潔白な江戸以前と脱亜入欧な近代とが色濃く含められているようだ。その点に注意しながら読んでいく。 そして戦略なく無茶な戦争をした近代のことにも批判的。特にノモンハン事件の話にこだわる。ほぼ全滅(死傷率75%)になるまで戦いを終えなかった。日本側最高責任者の中将が「もうこれはどうしょうもない。しかしながら、日本の兵隊さんは強いと聞いているから、なんとかなるだろう」とつぶやいたと。その話で司馬は「リアリズムを失っている」と。同様に近代の軍人や政治家もリアリズムを失っていると語る。 また何とか負けずに済んだ日露戦争については、講和条約で「もっとカネを取れ」という群衆たちの側に立って軍部や政府は動くようになったと。政府も軍部もカネが取れるような戦況ではなかったと知っているにも関わらず。ポピュリズムですよねこれ。 戦前における秘密主義と民衆迎合とは、嘘つきにして都合良く曲解ばかりする現代の政治家やネトウヨたちととても似ていると感じる。 なお「坂の上の雲」について第3章にて 「これはちょっと余談になりますけれども、この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。 うかつに翻訳されると、ミリタリズムを鼓吹しているよつに誤解されたりする恐れがありますからね。 私自身が誤解されるのはいいのですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです。」 とあるものの、この放送(1986-87年)の二十数年後(2009-11年)にNHKで年末に大河ドラマの代わりとして大々的に放送していたのはとても残念だと感じる。 https://www.nhk.jp/p/ts/X7PG14YX57/ 今回はここまで。 - 2025年8月12日
去年、本能寺で円城塔読み終わった最終章「去年、本能寺で」 メタメタですやんw 短編集でないことは分かった。他の話もいちおうここに収束している。 信長という存在は大変だよなあと同情してしまう。どうしても本能寺は越えられず、光秀が寄り添い、しかし後を継ぐサルは碌でもないと。 物語に「信長」という名を出すだけで、いろいろな設定が自動的にセットされる。強力。なので物語に使いやすい。 前作「コード・ブッダ」に引き続いて面白い物語でした。前作は大与太話でしたが、今作は各章それぞれに描かれている世界だけでなく、その後ろにも豊かな物語が流れている。そこから導かれる史実の世界も楽しい。 ありがとうございました。 - 2025年8月11日
去年、本能寺で円城塔読んでる第10章「偶像」 親鸞の長男で親鸞に義絶された東国のアイドル善鸞(史実にだいたい合ってる)、そして法然と親鸞の浄土教について。 ここ最近に京都国立博物館での法然展も親鸞展も鑑賞を経てきているので、法然も親鸞も、善鸞も(本願寺第3代)覚如も事前に押さえた上で読めている。この時期に読めて感謝。近代の一時期に発生した「親鸞非存在説」も取り上げたり。 法然そして親鸞は「仏教」の中でも特異的で、私の理解も円城塔(敬称略)とほぼ同じ。かなりぶっ飛んでいる。なにせ日本仏教では真っ先に批判している女犯を平然と乗り越えた(違反した、ともいえる)親鸞。法然の浄土教を更に推し進めて「絶対他力」つまりは自ら救われようとする事さえ否定した親鸞。当時ではカルトだったと思うよ。 他方、日本仏教も仏陀の編み出した教えにどの程度合っているのやら。いずれにせよ、善鸞はそのぶっ飛びに付いていけなかった、のかもしれないよね。でも善鸞は彼なりに父に沿うよう頑張ったのだと思う。 本願寺の基礎を成した覚如は、善鸞の子の如信を本願寺2代として自身を3代としたのは、やはり善鸞と如信のものが(布教と教勢拡大のための)理論体系として優れていたからだろうし。本願寺には(同じ真宗に)佛光寺という強力なライバルが居たわけだし。 話が大きくズレた。 この話は再読したい。 気に入ったフレーズ: 善鸞が説く。「父の教えに従う者は皆道を外れる。父の考えは父のものであるのだから。ただ、父の論に反論しようとする者だけが、父の教えを継ぐことができる。…」(p.274 ) - 2025年8月10日
去年、本能寺で円城塔第9章「八幡のくじ」 くじ引き将軍として有名な義円こと足利義教と、その義教の首をとった赤松満祐・則繁兄弟が交わる「嘉吉の変」が舞台。そこに聖徳太子未来記がほんの少しスパイスとして加わる。書物に書かれるほど未来が確定しているならば、くじ引きの結果も確定済みではないか、と。そしてオチは…他の章に比べて無理矢理なような。それにしても赤松氏は乱暴ですなあw - 2025年8月8日
去年、本能寺で円城塔読んでる第8章「天使とゼス王」 章題は「安寿と厨子王」からなのだろうな、と読み始める。がやはり今回も予想が(楽しく)裏切られる。舞台はインドのゴアで、主人公は安寿ではなく、宣教師ザビエルのお付きをしていたヤジロウ。ザビエルからはアンジェロつまり天使と呼ばれる。そしてゼス王はゼス・キリシトつまりイエス・キリスト。ヤジロウのキリスト教信仰の話が進んでいくのか、と思いきや再度裏切られる。なぜかここで(当初予想の)安寿と山椒太夫がでてくる。ヤジロウが生きたのは戦国時代のインド、山椒太夫の舞台は平安時代の丹後。いろいろこんがらがる。アンジェロと安寿とが少し語り合い、そして某国の国守の子である厨子王と、神の子であるゼス王とが(どちらも登場しないものの)こんがらがる。 説経節のさんせう太夫も、フランシスコ・ザビエルも、どちらにも興味を持っていたので、物語よりも深めに楽しむことが出来たと思う。 そしてほんの少し「信長」「本能寺」の名も出てきた。信長と本能寺がやはり全ての軸なんだな。 - 2025年8月6日
去年、本能寺で円城塔読んでるまた借りてきた。けど読まぬまま1週間放置。貸出期間が残り1週間となり読み進める。 第7章「宣長の仮想都市」 端原なる聞いたことのない地名にまず驚く。読み進めても、日本の話なのに日本の地名も人名も神の名も出てこない。何だこれと思い出したころにどうやら本居宣長が描いた仮想の日本であることが判明する。確かに章題の通りなのだけど、若き(しかもまだ「本居宣長」ではない)宣長が仮想都市を夢想していたなんて全く知らないので疑問と驚きの連続だった。 ネットで見れる参考文献としてはWikipedia「端原氏系図及城下絵図」及び本居宣長記念館の解説項目「地図と系図」 https://www.norinagakinenkan.com/pages/198/#block1517 そして国立国会図書館デジコレの「松阪市史 第7巻 (史料篇 文学)」の「端原氏物語系図」 https://dl.ndl.go.jp/pid/9570269/1/92 。
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