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りおかんぽす
りおかんぽす
@riocampos
りおかんぽすです。本は何かしら毎日読んでます。マンガもかなり読んでますが登録しないかなあ。 ここでは意図的に「読む」いわゆる物語がある本に限らず、図鑑や辞書など、何か調べるときに触れた本も記録しています。 また「読みたい」本はどこで知ったか、なぜ読みたいのかを、「読んでる」本は進行状況などメモ書きなどを入れています。単にタグ付けるだけでも良いのですが、意図的に一言だけでも書くように「実験」しています(タグ付けのみで済むのがReadsの良い点だと認識していますが、それに反したことをやってるのは自分への「実験」です)。←2025/6以降は実験がうまくいってないですorz
  • 2025年8月22日
    壬申の乱 古代日本の風景を歩く
    少し前に書店で内容確認してから購入。 いま2章ほど読み終え、大海人皇子が不破関に到着。 古代の人たちが実際に辿ったであろう道を現代に実際になぞってみると、実際の位置関係とかから推定地がより現実味を持って浮かび上がってくる、ということを紙面で追体験できる。近畿に住む者として、知っている地名がたくさん出てくるのも楽しい。
  • 2025年8月19日
    近江
    近江
    図書館リサイクル本。日本史で近江は重要な地。「古代を考える」シリーズ良さげ。
  • 2025年8月19日
    40歳からの肉体改造
    図書館リサイクル本。「改造」とあるがコンディショニングの話が載ってるので役立ちそう。
  • 2025年8月19日
    打てや叩けや源平物怪合戦
    図書館リサイクル本。東郷隆は好きな作家。
  • 2025年8月17日
    こうして京都府立植物園は守られた
    京都府立植物園と京都府立大学キャンパスは守られた。のだと思うのだが、京都府側の「北山エリア整備基本計画」は未だに残るし、府大の校舎(特に体育館)が耐震性に問題あるのも放置されたまま。 巨大アリーナは府大構内から向日市の競輪場敷地へ予定地変更されたのは、単に植物園周辺が救われただけで、向日市内の貧弱な交通網を考えない勝手な計画なので、そちらもどうなのかとは思う。 日本各地で公共地が勝手に利用されている。その顕著な例が私の住んでいる大阪府であれば大阪城公園だと思っている。もうぐちゃぐちゃ。もちろん東京であれば神宮外苑も大変なのでしょうけど、実際に侵されている進行状況は大阪城公園のほうが酷いので。 この本が市民運動実践の一つのきっかけになれば良いとは思う。最終章最終節「運動を振り返って」はその為の節でしょう。ただ、この経験談を読んでも「幸運な一例」との印象は強い。行政のほうがカネもアタマもある状況に抗うのはとても大変だとも感じる。正直なところ、私自身はこんな面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだと思う。そんな思いをしないところへ住みたいものです。
  • 2025年8月16日
    こうして京都府立植物園は守られた
    図書館の新刊コーナーで見かけてパラパラ読んでた。最後まで読みたいと思い借りた。個人的にも京都府立植物園のこの問題には関心を持っていた。 現状は半ばまで読んでる。京都府とコンサルの迷走ぶり、住民活動の生の声、また失敗談など、いろいろなものがごちゃ混ぜに含まれている(Change.orgのイマイチなところも書かれてて共感)。研究書ではなく体験談としての本なのでそれで良いのだけど、少し読みづらいのは仕方ないとはいえ残念。 また京都府立大学の体育館を公共アリーナとして建設する話についても知ってはいたものの私の関心からは少し外れていたが、この本で概要が掴めたし、かなり無茶があると分かったのはありがたい。 ちなみに「シアターコンプレックス」なる謎の構想が挙げられていた京都府立総合資料館跡地は現在、住宅展示場としてお茶を濁そうとしているのを先日見かけました。
  • 2025年8月16日
    「昭和」という国家
    NHKラジオ第1の「朗読」特集にて2025年8月に取り上げられた(全12章のうち1-2章 https://www.nhk.jp/p/rs/LRK2VXPK5X/episode/re/5GQZY3M6JP/ )。図書館でNHKブックスになる前の単行本を借りた。番組企画者のあとがきによると、教育テレビのETV8の時間に12回に分けて放送(1986-87年)されたものを司馬遼太郎没後に書籍化(1998年)。 あとがきによると3回分を一度に収録したとのことなので、読むのも1-3章で区切る。 司馬遼太郎の中には、清廉潔白な江戸以前と脱亜入欧な近代とが色濃く含められているようだ。その点に注意しながら読んでいく。 そして戦略なく無茶な戦争をした近代のことにも批判的。特にノモンハン事件の話にこだわる。ほぼ全滅(死傷率75%)になるまで戦いを終えなかった。日本側最高責任者の中将が「もうこれはどうしょうもない。しかしながら、日本の兵隊さんは強いと聞いているから、なんとかなるだろう」とつぶやいたと。その話で司馬は「リアリズムを失っている」と。同様に近代の軍人や政治家もリアリズムを失っていると語る。 また何とか負けずに済んだ日露戦争については、講和条約で「もっとカネを取れ」という群衆たちの側に立って軍部や政府は動くようになったと。政府も軍部もカネが取れるような戦況ではなかったと知っているにも関わらず。ポピュリズムですよねこれ。 戦前における秘密主義と民衆迎合とは、嘘つきにして都合良く曲解ばかりする現代の政治家やネトウヨたちととても似ていると感じる。 なお「坂の上の雲」について第3章にて 「これはちょっと余談になりますけれども、この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。  うかつに翻訳されると、ミリタリズムを鼓吹しているよつに誤解されたりする恐れがありますからね。  私自身が誤解されるのはいいのですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです。」 とあるものの、この放送(1986-87年)の二十数年後(2009-11年)にNHKで年末に大河ドラマの代わりとして大々的に放送していたのはとても残念だと感じる。 https://www.nhk.jp/p/ts/X7PG14YX57/ 今回はここまで。
  • 2025年8月12日
    去年、本能寺で
    最終章「去年、本能寺で」 メタメタですやんw 短編集でないことは分かった。他の話もいちおうここに収束している。 信長という存在は大変だよなあと同情してしまう。どうしても本能寺は越えられず、光秀が寄り添い、しかし後を継ぐサルは碌でもないと。 物語に「信長」という名を出すだけで、いろいろな設定が自動的にセットされる。強力。なので物語に使いやすい。 前作「コード・ブッダ」に引き続いて面白い物語でした。前作は大与太話でしたが、今作は各章それぞれに描かれている世界だけでなく、その後ろにも豊かな物語が流れている。そこから導かれる史実の世界も楽しい。 ありがとうございました。
  • 2025年8月11日
    去年、本能寺で
    第10章「偶像」 親鸞の長男で親鸞に義絶された東国のアイドル善鸞(史実にだいたい合ってる)、そして法然と親鸞の浄土教について。 ここ最近に京都国立博物館での法然展も親鸞展も鑑賞を経てきているので、法然も親鸞も、善鸞も(本願寺第3代)覚如も事前に押さえた上で読めている。この時期に読めて感謝。近代の一時期に発生した「親鸞非存在説」も取り上げたり。 法然そして親鸞は「仏教」の中でも特異的で、私の理解も円城塔(敬称略)とほぼ同じ。かなりぶっ飛んでいる。なにせ日本仏教では真っ先に批判している女犯を平然と乗り越えた(違反した、ともいえる)親鸞。法然の浄土教を更に推し進めて「絶対他力」つまりは自ら救われようとする事さえ否定した親鸞。当時ではカルトだったと思うよ。 他方、日本仏教も仏陀の編み出した教えにどの程度合っているのやら。いずれにせよ、善鸞はそのぶっ飛びに付いていけなかった、のかもしれないよね。でも善鸞は彼なりに父に沿うよう頑張ったのだと思う。 本願寺の基礎を成した覚如は、善鸞の子の如信を本願寺2代として自身を3代としたのは、やはり善鸞と如信のものが(布教と教勢拡大のための)理論体系として優れていたからだろうし。本願寺には(同じ真宗に)佛光寺という強力なライバルが居たわけだし。 話が大きくズレた。 この話は再読したい。 気に入ったフレーズ: 善鸞が説く。「父の教えに従う者は皆道を外れる。父の考えは父のものであるのだから。ただ、父の論に反論しようとする者だけが、父の教えを継ぐことができる。…」(p.274 )
  • 2025年8月10日
    去年、本能寺で
    第9章「八幡のくじ」 くじ引き将軍として有名な義円こと足利義教と、その義教の首をとった赤松満祐・則繁兄弟が交わる「嘉吉の変」が舞台。そこに聖徳太子未来記がほんの少しスパイスとして加わる。書物に書かれるほど未来が確定しているならば、くじ引きの結果も確定済みではないか、と。そしてオチは…他の章に比べて無理矢理なような。それにしても赤松氏は乱暴ですなあw
  • 2025年8月8日
    去年、本能寺で
    第8章「天使とゼス王」 章題は「安寿と厨子王」からなのだろうな、と読み始める。がやはり今回も予想が(楽しく)裏切られる。舞台はインドのゴアで、主人公は安寿ではなく、宣教師ザビエルのお付きをしていたヤジロウ。ザビエルからはアンジェロつまり天使と呼ばれる。そしてゼス王はゼス・キリシトつまりイエス・キリスト。ヤジロウのキリスト教信仰の話が進んでいくのか、と思いきや再度裏切られる。なぜかここで(当初予想の)安寿と山椒太夫がでてくる。ヤジロウが生きたのは戦国時代のインド、山椒太夫の舞台は平安時代の丹後。いろいろこんがらがる。アンジェロと安寿とが少し語り合い、そして某国の国守の子である厨子王と、神の子であるゼス王とが(どちらも登場しないものの)こんがらがる。 説経節のさんせう太夫も、フランシスコ・ザビエルも、どちらにも興味を持っていたので、物語よりも深めに楽しむことが出来たと思う。 そしてほんの少し「信長」「本能寺」の名も出てきた。信長と本能寺がやはり全ての軸なんだな。
  • 2025年8月6日
    去年、本能寺で
    また借りてきた。けど読まぬまま1週間放置。貸出期間が残り1週間となり読み進める。 第7章「宣長の仮想都市」 端原なる聞いたことのない地名にまず驚く。読み進めても、日本の話なのに日本の地名も人名も神の名も出てこない。何だこれと思い出したころにどうやら本居宣長が描いた仮想の日本であることが判明する。確かに章題の通りなのだけど、若き(しかもまだ「本居宣長」ではない)宣長が仮想都市を夢想していたなんて全く知らないので疑問と驚きの連続だった。 ネットで見れる参考文献としてはWikipedia「端原氏系図及城下絵図」及び本居宣長記念館の解説項目「地図と系図」 https://www.norinagakinenkan.com/pages/198/#block1517 そして国立国会図書館デジコレの「松阪市史 第7巻 (史料篇 文学)」の「端原氏物語系図」 https://dl.ndl.go.jp/pid/9570269/1/92 。
  • 2025年7月29日
    禅宗語録 入門読本 -禅の物語で学ぶ漢文の基礎ー
    禅文化研究所の季刊「禅文化」277号の冒頭対談がYouTubeで配信開始された。横田南嶺老師の対談相手が小川隆 駒澤大学教授で、昨秋に出版されたご著書が紹介されていた。ということで気になった。
  • 2025年7月20日
    僕には鳥の言葉がわかる
    図書館から借りてきたものの用事があってなかなか読めずに居た。今日読み始めて一気に読了。エッセイ形式の文章は軽めでやさしい。また各章は年代順で、独立して読めるよう内容を略さず書かれていた。 興味深かったのは、著者の描くイラストの上手さ。かわいらしいし、特徴をよく掴んでいる。絵が上手くないと生物学者になれないのではないかと思ってしまう。 著者の経歴は京大白眉センター助教から東大准教授との略歴のみ知っていました。本文中で博士課程から上田恵介氏(現在は立教大学名誉教授・日本野鳥の会会長)の研究室に所属していたと知り驚き。上田先生の弟子なのかあ。 さて。本文は全体的にシジュウカラの話。卒業研究の鳴き声にまつわる話が私には一番インパクトあり。小鳥がエサを見つけると仲間を呼ぶ声で鳴き、仲間が来てから最初に鳴いた小鳥もエサを食べると。鳴かなければ独り占めなのに。実は小鳥は食事しているときにも天敵を警戒している。一羽だと常に空を見張る必要がある。しかし集団で食事していれば、警戒の頻度を下げられると。強く納得。 印象深いエピソードとしては、米とキャベツの話、森に設置した巣箱の半数にカマドウマが占領した話、シジュウカラ自身が蛇の威嚇音の真似をする話、巣立ち直前の巣にアオダイショウが迫ると親鳥が蛇を意味する「ジャージャー」と鳴き雛達が急いで巣立ちする話、ご実家での巣箱話、船に住み着いたシジュウカラ雛鳥を「ジャージャー」音で逃れさせる話、いろいろ。 すんなり読めて読後感も気持ち良い、なかなかオススメの本。 ちなみに我が市の図書館では9冊あり、それをまだ150人ほどが順番待ちしています…。
  • 2025年7月14日
    図書館を建てる、図書館で暮らす
    図書館の返却日が来たけど読みきれてない。 本の章立ては ・〈森の図書館〉が建ち上がるまで ・本のある空間で起こっていること ・本にまつわる仕事 最初の「〈森の図書館〉が建ち上がるまで」は読めた。橋本麻里さんの引越遍歴、設計者の三井嶺さんの建築設計話、そして山本貴光さんの書籍収集歴。 私自身は(書籍に関して)山本さんと同じような経緯を経てきたのですが、文学関係にはあまり手を伸ばさなかった。 2つめの「本のある空間で起こっていること」は山本さんパート。読めてないもののパラパラめくると、山本さんとほぼ同じ癖を持ってるなあと(まず「袋から出すべし」を書いてるところが…買っただけで満足してしまうことがあるんですよホント→なのでReadsに書く習慣をつけようとしてるのだけど現状では失敗中…)。 ということで一旦返却して、また図書予約しておく。
  • 2025年7月10日
    去年、本能寺で
    第5章「実朝の首」 未来記に従わざるを得ない人々。道三の話でも未来からの文書に左右された(情報のみだが)けど、こちらは未来に自分が書いた書状に左右されてしまう人と、そこから更に影響受けてしまう人たちの物語。 第6章「冥王の宴」 表題裏にあるのはカント「純粋理性批判」。読んでません。 そして物語は冥王代、つまり地球表面がまだマグマオーシャンだった頃、太陽系が形作られつつある頃。 なのに何故か信長だの本能寺だのが出てくる。何故なら、世界がラプラス的であれば、初期運動で全て未来が確定してるから将来信長になる分子の運動も確定してる…いやあ古典論だねえ(と誤魔化しておく)。 この辺りで本は半ば。戦国時代に絡めて話作りしてる物語が多めだなとの印象。おそらく表題の「去年、本能寺で」が現れる最終章では、それまでの章(というか短編)がいい感じに土台を作るのだろう、と予想しておく。 しかし図書館の貸し出し期間が終わったので、図書館へ一旦返却。
  • 2025年7月8日
    去年、本能寺で
    第4章「存在しなかった旧人類の記録」 感想を途中まで書いてて、投稿し忘れて消えてしまった…。わりとしっかり書いてたから残念。 旧石器時代ミステリ。なのでオチは書けない。けど表題裏にはポーの「モルグ街の殺人」の森鴎外による別訳のことが書いてある(青空文庫で読める)。
  • 2025年7月5日
    去年、本能寺で
    ネタバレありです。 第3章「三人道三」 斎藤道三といえば小坊主から油売りを経て美濃の守護土岐氏を倒して一国を支配した下剋上の代表のような人だと思うのですが…実は油売りだったのはその父だった、という古文書があるのだとか。その文書が昭和に出てきたことを、なぜか戦国時代の明智光秀が斎藤道三に語るという場面から物語が始まる。 その文書が書かれるのも、そして見つかるのも、未来の話。しかし道三自身が持ってる小坊主時代や油売り時代の記憶が、光秀に聞いた途端に怪しくなってくる…なんだこりゃ。時間検閲問題か。 でタイトルは「一人の道三が二人に分割されるのなら、三人に分割されるのもありうる」。物語の最後辺りでは分割されてたのかな。 第4章「存在しなかった旧人類の記録」 タイトル裏にあるのは森鴎外訳のエドガー・アラン・ポー「病院横町の殺人犯」(青空文庫に掲載あり)。一般的には「モルグ街の殺人」という表題で知られる。読んだことは全くない(のだがネタバレ例として有名な話らしい)。 物語の舞台は旧石器時代。ゾウ送りの祭りの夜に死者が出た。部族の有力者はゾウ送りをおざなりにしたとして、死者の出た部族に責任を取らせようとした。それに対し、その部族にいる《探偵》と《助手》が犯人を探す。もちろん真犯人を探すことよりも、有力者を納得させれば済む。 人殺しに使われた石斧を発見した探偵は石工に見せそれが「人(ホモ・サピエンス)の手では作れない」ことを指摘される。つまり、殺人犯は、同時期に生きている、ホモサピより力強い猿人の仕業か?と思いきや…。 いちおう推理小説風なのでオチは隠す。
  • 2025年7月3日
    去年、本能寺で
    第2章「タムラマロ・ザ・ブラック」 坂上田村麻呂と阿弖流為をガリア戦記におけるカエサルとウェルキンゲトリクスになぞらえた話…かと思いきやわりと違う。 ネタバレになるのですが、タイトル裏頁にあるシェークスピアのオセロの一文 "And I, God bless the mark, his Moorship's ancient." から気付くべきで、黒人の坂上田村麻呂はムーア人(黒人として扱われることもある)の将軍であるオセロになぞらえている。オセロの部下のキャシオー、イアーゴーも出てくる。なおシェークスピアはほぼ知らないので、一読後に登場人物を調べました。 で。私は枚方市に住んでおります。文中に 「現在、枚方市にはアテルイの首塚を称する石碑が存在するが、これは史的な根拠を欠いた有り合わせであり、そのことは枚方市自体も認める。根拠としては、枚方のとある住人の夢枕に、アテルイが立ったことを置く。」 とあって、全くその通りなので驚きと共に大笑いしてしまいました。ところでこの文に続いて 「侵略側の傲慢さをよくあらわしている。」 とあるのに、少しうなりました。アテルイが夢枕に立った人にはそんな意識は無かったでしょうが、そりゃ傲慢ですよね勝手にアテルイの首を刎ねた場所を決めたりしたんだから。 なお読後感としては、あまりスッキリしない。SF成分が少ないからか。でも、おそらく私がオセロを全く知らないからかも知れません。近々概要だけでも追ってみたいと思います。
  • 2025年6月28日
    去年、本能寺で
    第1章「幽斎闕疑抄」 タイトル通り、古今伝授でお馴染みの細川幽斎が主人公。物語の舞台は史実における「田辺城の戦い」の場面そのまま。田辺城(現在の舞鶴市にある。調べると、江戸以前の地名は田辺で、明治になり山城や紀伊の田辺と区別するため地名を城の姿に因んで「舞鶴」としたとか)に隠居している幽斎67歳、しかし何故かAI、しかも軍事AIにして文事AI。(そういえば文事ってあまり使わない単語だね。なお反対語は武事。) 古今伝授やAIについてはいろいろと本文中に軽く解説あるものの、勾配消失問題(多層のニューラルネットワークで新規情報を学習しなくなる弊害)だのシグモイド関数(0周辺で0から1に変化する関数)だのReLU(Rectified Linear Unit: 正規化線形関数。正の範囲で入力をそのまま出力する関数。ダイオードの理論的ふるまいに相当。勾配消失問題の解決に用いられる)だの、断りなく用語を使ってくるところなどに苦笑。もしかするとこのAI歴史短編集?の導入として「はいこの本は技術用語をバンバン使うからねー」という予告だったりするのだろうかと思ったり。まあだいたい分かるので笑うだけなのだがw それはともかく。 「軍事AIも…罪の意識にさいなまれ、仏や耶蘇に救いを求める」 という文には前作「コード・ブッダ」を思い起こさせてくれて微笑んでしまった。 それからこの本ではフリガナの使い方が楽しい。例えば「古今和歌集」に「コレクション・オブ・ジャパニーズ・ポエムズ・オブ・エンシェント・アンド・モダン・タイムス」なるフリガナが振ってある。…確かに英語にすればその通りなのだろう(Wikipedia英語版「古今和歌集」にも"Collection of Japanese Poems of Ancient and Modern Times"とある)。ところで田辺にタナベ、丹波にタンバ、あと人名にもフリガナ振ってるのはどういったニュアンスなのだろうか。日本では無いという雰囲気作りなのかな。 余談:「幽斎闕疑抄」の闕疑について辞書で調べると 「けつ‐ぎ【闕疑】 〘名〙 (「論語−為政」の「多聞闕疑、慎言其余則寡尤」による語) 疑わしいものとして、決定を保留しておくこと。また、そのような事柄。細川幽斎(藤孝)著文禄五年版本「伊勢物語闕疑抄」のように書名に用いることがある。」(精選版日本国語大辞典) とある。幽斎が書いた本の題に因んでいるというところも要点なのか…わかんねーよそんなのwwと思ったのでした。 今後こんなに長文で書くかどうか分からないけど、まあ1つ目なので勢いで。
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