
いっちー
@icchii317
2025年8月13日

刑務所に回復共同体をつくる
毛利真弓
読んでる
『プリズン・サークル』の上映会で監督が話していたけど、刑務官のやばさが浮き彫りになる。いかにして、本来の職務的動機が失われ、保身や昇進をかけて動くようになるのか。そして被収容者を権力で支配するようになるのか。しかしいわゆる体育会系の組織にいたことのある人なら、すんなり受け入れてしまうだろうとも思って恐ろしい。
上映会のときも思ったけど、刑務所に入ってもこんな人たちのもとのこんな環境では厚生できないだろうと思うし、正直何の変化もないまま釈放されたりするのは怖いと思ってしまう。p67の「私は少年鑑別所で単に話させていただけであって、語ってもらっていたわけではないんだ」という著者の気づきにもある通り、形だけになると変容は生まれないと思う。日本の官僚的な組織文化の本当に残念なところ。
アミティというアメリカの施設の映画もあるんだな。p70でスタッフが「当事者としての経験も使っているが、その後に学んださまざまな知識や考えを最大限に持ち込」んで「自分のすべてを使っ」た結果、肩書きにとらわれず「ナヤさんそのもの」になっているという表現があり、興味深かった。「自分のすべてを使う」という表現が素敵だった。個人的には持ってるものを使わなくてどうするの?とも思う。肩書きにはめられて、徐々にその範囲内でしか自分を出さなくなってしまうようになるのか。逆に、その人がすべてを使った結果、肩書きを超えてその人「そのもの」として現れてくるのか。面白い。
「援助職の盾への解毒剤は「知ること」だと思っていた。私だったが、それよりも自分が開かれること、全てを使うことだと考えを更新した。」p73大共感👏
そしてその考え方、あり方が「自分のエネルギーを全部使うこと」というHowにつながっていく。そしてよくスピ界隈で「エネルギー」とか「波動」の高さ、低さの話があると思うけど、別にそこの序列が重要なのではなく、単にWhyを追求していった結果、そのようなあり方につながっていくのではないかと思った。
(補足:毛利さんは各職種の組織に感じた違和感を分解する際に、サイモン・シネックのTED Talk「なぜから始めよう」のなかで、「Why」が人や組織、顧客に影響を与える。そこからHow, Whatにつながるという論を参考にしている。)

