
小池陽慈
@koike_yoji
2025年8月15日

どこかの遠い友に
木村哲也,
船城稔美
読んでる
毎日、少しずつ読み進めているこの詩集、今日は、「乾燥期」という詩(p. 114-117)の最終連、
私の日記には
いつも、
エゴの傍線が
引かれているのです。
が、心にぐいぐいと食い込んできた。
「エゴの傍線」…!
「エゴ」も「傍線」も、あるいは「傍線が/引かれている」という主述の組み合わせも、何一つ珍しくも新鮮味もない当たり前の言葉、表現なのに、「エゴの」が「傍線」を修飾した途端に、とんでもない存在感を放つ詩語になる。これぞ、異化。
試しに、「エゴの」を取って読んでみてください。「エゴの」という表現がどれほどに凄いものなのか、「おお…!」と腑に落ちるはずです。





